思考能力の鍛え方4

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前回に続き、思考能力をどうやって鍛えるかなどを少しご紹介させていただければと思います。

 

■様々な人の立場で考える

このサイトでは、何度も物事を多角的に考えるというタイトルで記事を書いております。
記事では、様々な例を元に多角的に考えるように、私の考えを述べている程度ですが、実際に皆さん自身が多角的に考えるにはどうすれば良いかという疑問を持たれる方もいらっしゃるかと思います。

多角的に考えると言っても簡単なことではないですが、一つの方法として、様々な人の立場に立って考えてみるということが挙げられます。

例えば、子どものいじめ問題について考えてみる時、いじめられる側の子どもやその親の立場にのみ立って考えがちですが、他の人の視点で考えてみましょう。
いじめてしまった子ども、いじめた子どもの親、学校の先生や校長先生、当事者ではない子どもとその親、いじめ問題を報道で見た人など、様々な登場人物がいますので、それぞれの立場に立つということです。

もし自分がいじめてしまった子どもの親だったら、子どもをきちんと叱れるだろうかとか、もし自分がいじめがあったクラスの担任の先生だったら、いじめをどうやって止めれば良いのかなど、それぞれの立場に立った時にどうするかというのを一人ずつ考えていくのです。

最初は大変かもしれませんが、慣れれば瞬時に立場を切り替えて考えられるようになり、問題を多角的に捉えることができます。

そのために、まずどのような登場人物がいるのかを箇条書きで、紙に書き出すと良いでしょう。
もちろん、頭の中でできるのであれば、紙に書き出す必要はありませんが、最初のうちは練習のためということもありますし、問題が複雑だと、登場人物に漏れが出てきたりしますので、そういった場合は書き出しましょう。

さらに、差別問題ならどういった登場人物がいるか、セクハラやパワハラ問題ならどうかなど、他の問題についても考えてみましょう。
そして、それらの人物一人ひとりの立場を想像し、自分ならどうするかなどを考えるようにします。
こういったことをすることで、問題をより多角的に捉えることができるようになり、思考にも磨きがかかるようになります。

世の中には様々な問題がありますので、ニュースなどを見た時など、こういったことの練習をしておくことで、物事を多角的に考えることができるようになるかもしれません。

 

■本質を見抜くには

よく物事の本質を捉えていないという言葉を聞くことがあるかと思います。
うわべだけで問題点を指摘したようでも、それは本質ではなく、もっと別のところに問題がある場合があるということです。
あるいは、論点がずれているという場合もあるでしょう。

物事の本質を見抜くと言っても、洞察力や観察力、さらには推理力や知識など、高度な頭脳が要求されます。
もちろん、よく知っている事柄については、本質まで分かっていることも多いかと思いますが、あまり知らないことについての本質を瞬時に見抜くのは非常に難しいことです。

情報を収集する必要もあると思いますが、本質を見抜くための近道は、歴史を勉強することだと私は思います。
問題の表面だけを見ていても分からないことが多いものですが、歴史を勉強しておくと裏側が分かってきたりします。

歴史を勉強すると言っても、学校の授業でやるような、出来事の名称や西暦などを覚えても、あまり意味はありません。
先人たちが、様々な問題をどう考え、どうやって解決してきたかなどは、歴史小説の方が勉強になります。

歴史小説は、作者の想像が入っている場合も多いですが、それでも勉強にはなりますので、たくさん読んだ方が良いでしょう。
本質を見抜くためというよりは、問題解決の勉強に近いかもしれませんが、これを重ねていくことで、世の中の問題の見えない部分も見えてくるようになり、本質を捉えやすくなります。

歴史上の出来事というのは、本当に表面上のことだけが伝えられていて、その裏にどのような影の努力があったかや、数々の犠牲や裏切りがあったのかなどは語られていないことが多いのです。
歴史小説などでこういった裏の部分を知ることで、歴史の本質を捉えることができ、本質を見抜く訓練にもなります。

歴史の勉強は、あくまで本質を見抜くための一方法であり、物事の本質を見抜くためには、他にも様々な訓練が必要です。
他の方法については、また別の機会にご紹介させていただければと思います。

 

■木も森も見る

木を見て森を見ずという言葉がありますが、これは物事の細部しか見ないで大局を見ていないという意味です。

戦争の時などで、自分の部隊のことばかりを考えて自分勝手な行動してしまうと、局地戦で勝てたとしても、その自分勝手な行動のせいで戦争全体では負けしまったということがあります。
この場合、大局も見て自分の行動を決めなければ、国が負けてしまうということで、木を見て森を見ていなかったということになります。

大局についての重要さについては、このサイトでも何度か書いてきましたが、逆の場合もあります。
つまり、森を見て木を見ずでもダメだということです。

これは、大局だけを見て細部を見ていないということになりますが、それも良くないということは誰でもご理解いただけるかと思います。
大局だけを見るということは、戦争で言えば階級が上の人、現代の会社で言えば経営者ということになりますが、こういった人たちが部下のことを考えないというのも良くないことです。

戦争の時でも、国が勝てばそれで良いと言って、部下を何人も犠牲にするようなやり方では、部下にも国民にも見放されてしまうでしょう。
現代でも同様で、会社の上司が、会社のためだからと言って、部下に厳しい労働を押し付けるというのは問題があります。

部下のことをきちんと考えてこそ、良い上司と言えます。
部下を大事にするというのは当たり前のことかもしれませんが、大局も細部もきちんと見るというのは、意外と難しいことなのです。

上司も部下も、それぞれが大局と細部を見る必要があり、そういった組織は非常に強い団体になる確率が高いです。
細部である木も、大局である森も、きちんと見て行動するということを心がけておきましょう。

 

■正解があるかないか

学校の授業では、数学の場合は明確な正解があるのに対し、国語などでは感想文や小説の作者の考えなど、明確な正解がない場合があります。
しかし、正解があるかないかは重要なことではありません。

重要なのは、自分で考えることです。
国の政策を考える際や、大きな問題が起きた時に、どのような解決方法があるかなど、世の中には明確な正解がない問題の方が多いものです。

数学には正解がありますが、正解に向かってどのような方法が最も効率的かを考える必要があります。
同様に、正解がない問題についても、どの方法が最も効果的かや、合理的かなどを考えることが重要です。

世の中の問題は、明確な正解がない場合が多いですが、正解がないからと言って考えを止めてしまってはなりません。
正解がなくとも、最善策というものは必ずあります。

正解があるかないかという議論は、あまり意味のないことです。
重要なのは、正解があるかないかではなく、自分で考えて、最善の方法を導き出すということです。

もちろん、数学では正解にたどり着かなくてはなりませんが、それでもやはり自分が考えるという行為が重要なのです。
近年は自分で考えずに、すぐに人に頼ったり、難しい問題は人に任せてしまう人も多くなっておりますが、自分で考える努力をするという習慣を身につけるようにしておきましょう。

 



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