生きる権利と死ぬ権利
先日、アメリカの女性が余命宣告を受け、安楽死をすることをネットで公開し、話題になりました。
この女性はその通り、安楽死を実行してしまったようですが、世間では賛否の声が挙がりました。
ここでは、人間の生きる権利と死ぬ権利について、少し考えてみたいと思います。
■安楽死は許せるか
現在、安楽死が認められている国は非常に少なく、やはり自殺を助成するような行為は、良い行為ではないと多くの国は判断しているようです。
日本も尊厳死は一部認められていますが、安楽死は認められていません。
尊厳死というのは、延命処置を行わなければ死んでしまう患者に対して、本人や家族の同意があれば延命処置を行わず、そのまま自然死を待つというものです。
これに対して安楽死というのは、薬を用いて患者に苦痛を与えずに死なせることです。
私は、安楽死も一つの選択肢としてあった方が良いと思います。
不治の病で、余命宣告を受けるような状況で、残りの人生が苦痛しかないのであれば、苦痛を受けずに死にたいと思うのはよく分かります。
もちろん、本人や家族の同意も必要ですが、これを認めてあげることでその患者さんは救われるはずです。
多くの反対意見の人は、やはり道徳に反する行為だとか、自殺扶助だとおっしゃると思います。
それは否めませんが、こういった反対意見を述べる人は、本人の苦しみが分かっていない可能性が高いです。
恐らく、健康に問題のない人たちでしょう。
自分がそれほどの重病に冒されたことがないので、患者さんの本当の苦しみが分からないのかと思います。
私は持病を多く抱え、生きるのがとてもつらいほどなので、不治の病や重病の患者さんの気持ちが少しは分かるつもりです。
自分もその病気になってみないと分からないことなのかもしれませんが、生きる苦しみから開放されたいと思うのは、その患者さんにとっては当然のことかもしれません。
もし、安楽死が選択できないなら、病院から飛び降り自殺を計ったりするかもしれません。
もしくは、本人しか分からない苦痛を味わい、苦しみながら死んでいくことになります。
もちろん、重病でない人に対して安楽死を使うべきではないと思います。
単にお金がなくて生活が苦しいとか、本人は健康なのに、恋人や家族を失ったから安楽死したいというのは、それこそ自殺助長になってしまうので、私も賛成できません。
しかし、不治の病で余命宣告を受けるような患者さんであれば、安楽死を認めてあげた方が良いでしょう。
安楽死を認める場合は、その条件を厳しく設定し、患者さん毎に適切に判断する必要がありますが、その上で許可するのであれば問題ないかと思います。
生きる権利もありますが、死ぬ権利というのも私は必要なのかと思います。
■死ぬ権利について
自殺という行為は、人間しか行わず、他の生物は自殺するという思考はないようです。
どんなに苦しくても生きようともがくようです。
たた、どんな生物であっても、苦しい状況が長く続くのはかわいそうかと思います。
「楽にする」という言葉通り、すぐに死なせてあげれば文字通り「楽に」なるのです。
日本でも戦国時代では、武士が切腹するというのは多々ありました。
裏切りの疑いがあっただけで切腹を命じられたり、武士として取り返しのつかない失態を犯してしまって自分から切腹を行う者もおりました。
自分が望む、望まないに関わらず、自殺するという考えは昔からあったということです。
もちろん、私も自殺を推奨する考えは毛頭ありません。
ただ、自殺という考え自体は否定はしておりません。
死ぬ権利というと誤解をまねく恐れがありますが、自殺するというのは、最終手段として選択肢にあった方が良いという考え方です。
自殺したい理由は、人によって様々あるかと思います。
不治の病に冒されていたり、お金がなくて生活が困難であったり、人間関係のトラブルや、大事な人が亡くなってしまったショックというものもあるでしょう。
ただ、自殺を考える前に、本当に死ぬ以外の選択肢がないのかを、よく考えてみてほしいのです。
もちろん、自殺を考えるほど追い詰められているので、様々なことを考えてはいるかと思いますが、本当に死ぬしか選択肢がないでしょうか?
仕事もお金もなければ、生活保護を受けるという選択肢もあります。
人間関係のトラブルなら、引っ越しをしてその人から遠くに逃げるという方法もあるでしょう。
うつ病になってしまったなら、精神病院を受診するという方法も考えられます。
状況によって様々な対策があるので、ここでは紹介しきれませんが、もし周囲に頭の良い人がいるなら、その人に相談してみましょう。
状況が劇的に改善する可能性もあります。
全てが八方ふさがりとなって、選択肢が他にないという状況になった場合に限り、自殺を検討するということになります。
最終手段としてあの世に逃げるという選択肢がある中で、他の選択肢を探すという考えであれば、逃げ道があるので少し心に余裕ができる場合があるのです。
死ぬ権利というのは、誰しももって良いものかと思いますが、その前に本当に生き残る手段がないかを、フルに頭を使って考えましょう。
■生きる価値はあるのか
自殺願望者に、よく自分には生きる価値がないとおっしゃる人がいます。
就職しようとしても、面接に落ちまくり、家族にも煙たがれ、誰からも必要とされないという状況の方がいらっしゃいます。
本当にそうだとしても、生きる価値がないと言えるでしょうか?
あまり良くない例かもしれませんが、ハエや蚊、ゴキブリなどの虫は、食材になるわけでもなく、人間に何か役立つわけでもなく、あまり価値がない生き物です。
しかし、どんな生物でも堂々と生きています。
彼らは、自分に価値がないから生きたくないとは誰も考えてはいないはずです。
つまり、この世に生を受けた以上、あなたは生きて良いのです。
仮に生きる価値がなかったとしても、それで良いではないでしょうか?
生きていてはいけない人間はいません。
もし、自分で生きる価値がないと思っていらっしゃる方は、自分で価値を見つけましょう。
今まで生きてきた中で、得意なことや時間を費やしたこと、自分の好きなことを分析してみて、何か自分ができることがないかを探してみるのも良いかと思います。
旅行が好きなら、また旅に出て楽しい出会いを探すというのも良いでしょう。
ピアノが得意なら、ピアノを教えるような仕事を探すというのはいかがでしょうか?
生きる価値がないと言って、ずっと殻に閉じこもったままでは何も話が進展しません。
価値は自分で見出すものと考え、勇気を出して行動に移しましょう。
■戦争について考える
日本は平和ですが、他国では今でも戦争が続いています。
日本もいつ戦争に巻き込まれるか分かりません。
昨今は集団的自衛権の憲法解釈を巡って、賛否が巻き起こったりしましたが、戦争について考えるということは良いことです。
もちろん戦争がしたい人などあまりいません。
私も集団的自衛権に賛成しているからと言って、戦争がしたいわけではないのです。
戦争がどんなに国民を苦しめ、国を破壊するかは私もよく知っています。
ただ、どんなに戦争に反対しても、戦争が起きる時は起きます。
それは日本の意志でなくとも、同盟国や周囲の国が戦争を始めれば、巻き込まれる可能性が高いのです。
そういった時、戦争の準備ができていなければ、すぐに負けてしまいます。
戦わずに降伏すれば良いという意見もあるかもしれませんが、降伏は負けと一緒ですので、負ければ敵国に何をされるか分かりません。
日本人が大量に殺害されるかもしれませんし、奴隷のように扱われるかもしれません。
それは国によって違いますし、どうなるかは分かりませんが、やはりそうならないように普段から戦争に備えておいたり、戦争になった場合のことを考えておくことは必要なことです。
それなのに、戦争のことを考えもせず、戦争反対と訴えるのは単なる偽善者です。
戦争反対なのはみんな同じです。
しかし、いざ戦争になった時のために、戦争のことを考えていなければ、すぐに負けてしまうのです。
集団的自衛権はその一つでしょう。
自分の生きる権利を守るためには、平和ボケせずに戦争のことも日頃から考えておき、もし戦争が起きてしまったらどのような行動を取れば良いかを考えておくことも必要かと思います。
何もわかってないんですね
生きる価値で他の生き物を提示するのはちょっと的外れとも考えられませんか?
私は、『骨肉種』という病気です。
私にも、死ぬ権利ありますよね?
かんな様。
その病気の進行具合がどのくらいかや、かんな様の苦しみがどのくらいなのかは分かりませんが、死ぬ権利自体は、誰もが持っているものと私は考えています。
ただ、安楽死や自殺などの方法が、法律や周囲の人たちが許してくれていないのが現状です。
どうしても病気が苦しいのであれば、なるべく周囲の人たちに迷惑がかからない方法で自殺するのも、一つの方法ではありますが、その前に本当にそれしか解決方法がないのかを考えていただければと思います。
例えば、不治の病かと思っていても、海外では治療の方法があったりします。
骨肉腫については、私は詳しく分かりませんが、インターネットなどを駆使して調べてみれば何か分かるかもしれません。(既に調査しているかもしれませんが)
お力になれず、申し訳ありませんが、最後の最後まで希望を持っていただければと思います。
ハエやゴキブリといっしょにされてもねえ…
ちょっと説得力無いです。
拝見しました。
自殺志願者ほど視野狭窄に陥って、あるいは思考停止に陥って、
考えること自体ができない状態です。その状態で、考えましょう
と気力を奪うようなことを推奨することは、うつ病の人に、頑張
れと追い打ちをかけるようなものです。
確かに道はほかにあると思いますが、選べるだけの気力がない場
合もあります。
安楽死で「残りの人生が苦痛しかないのであれば」とありますが、人間の苦痛には、肉体だけではなく、今では精神的な物も同等にあると言われています。
そう言った場合はどうなのでしょうか?
また、多くの病気をかかえ、身内もなく、仕事も持病でできない、そのため年金もない、
生活保護では、生活費を極限まで削っても病院代が出せない、田舎なので近隣に民家が
無く、一番近いとこでも、お年寄りのみなので、行き来の付き合いも無い、またそう言う田舎なので、たまの食料等の買い物、病院なども、公共交通機関が無い、タクシーはお金が無いので使えない、安い軽自動車ならいいが、車を持つと生活保護は出せないと役場で言われた。今は両親のわずかな年金で、もがいていますが、私一人になった場合、行きようにも、生きる方法がみあたらない。
国県市町村は生きさせてはくれない、病気に苦しみながら病院を諦め、苦しみながら、
餓死するしか無いのでしょうか?
ねこ様。
コメントいただきまして、ありがとうございます。
もちろん、精神的な苦痛が大きい場合も、肉体と同等と考えても良いのですが、国や世間はそう考えないのが普通です。
私も、病気などで肉体的にどうしても生きられないのであれば、仕方ないと思いますが、精神的なダメージのみであれば、回復の見込みは0ではありませんので、色々と打開する方法を考えてみる価値はあるのではないかと思います。
もちろん、著しく精神的ダメージを負ってしまった場合は、自殺という選択肢もやむを得ない場合もありますが、それでも、自殺する前に、あらゆる可能性を考え、改善する方法を探してみましょう。
ねこ様は、現在、生活保護を受けられているのでしょうか?
生活保護は、医療費と生活費を賄えるくらい額に余裕があるような話も聞いたことありますが、それほど金額は多くないということでしょうか?
現在受けている治療というのは精神科でしょうか?
生活保護の金額が厳しいようであれば、自治体に相談し、医師の診断書などを見せて、生活保護費を上げてもらうことはできないのでしょうか?
現在住んでいる場所が田舎で不便とのことですが、近くの少し都会の場所へ引っ越すということは難しいのでしょうか?
詳しい状況は分かりませんが、あれがない、これがないと嘆く前に、自分に何ができるのかを、一度じっくりと考えてみていただければと思います。
アドバイス、ありがとう御座います。
まず、自殺などは、考えておりません、と言うか、考えないようにしています。
やはり、生きれるものなら、生きたいですし。
先のコメントの最後のあたりで書いておりますが、今は両親のわずかな年金で、ギリギリ
生きております。
神経障害で、めまいがひどく、ほぼ寝たきりです。
他にも複数の病をかかえております。
また、精神の障害者手帳を持っておりますので、自治体・役場(相談できる所は全て行ったと思います)で以前より相談はしておりますが、何も、助けはありません。
悩みを聞いてくれるくらいで、医療費を抑えるようにしては・・・との事で、
つまり、どれかの病気治療を止めて我慢すると言う事や、遠い親戚でも、探して援助をとかですが、・・・そんな事は現実、無理・・・。(全く分かりません)
これ以上のことは、ご勘弁ください。
今は、何とか ギリギリでも、生きていきます。
人様に迷惑だけはかけたくありません。
ただ一度だけ、死んだ際、どなたかにご迷惑をかけるかもしれませんが。
最後に、人生相談の様になってしまいましたが、こう言った個人的な状況も有りますので、
安楽死には賛成です。
ねこ様。
ご返信いただきまして、ありがとうございます。
なるほど。では、生活保護は受けていらっしゃらないということですね。
やはり精神病では難しいということなのかもしれません。
精神病の方を治療させることは難しいでしょうか?
神経障害とのことですが、もし原因が分かっていらっしゃらないようであれば、総合診療科を受けてみるのも良いかもしれません。
その他、うつ病等の克服の仕方などについても、このサイトでも書いておりますので、そちらもご覧いただけたらと思います。
色々アドバイス・ご心配おかけ致します。
病気についてですが、神経等 目に見えない物が起因している物ばかりです。
もう、数十年、地元はおろか、いくつもの県をまたいだ、他地方の大きな病院、
科・・・東洋医学・・・、試しました。
自分にできる事はやってまいりましたし、これからも生きていきます。
安楽死は賛成です。
色々ありがとう御座いました。
これで、失礼致します。