源義経=ジンギスカン説

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※この記事は過去の記事からの再掲載となります。

 

■源義経生存説

平安時代末期、平家討伐に活躍した源義経は、兄源頼朝に謀反を疑われて追われる身となり、奥州平泉にまで逃げ、藤原氏に匿われました。
この平泉の地で、藤原氏の裏切りに遭い、義経は弁慶らとともに討たれたわけですが、実は平泉から北に逃げたのではないかという説があります。

確かにわずかながらにそのような痕跡があり、さらには海を渡り、ジンギスカンとなったのではないかとまでする説もあります。
痕跡というのは、平泉から北の地には、義経は行ったことがないはずの場所に、岩などに義経が訪れて書いたとされるものが残っているらしいです。

ジンギスカンの説はさすがに無理があるかと思いますが、義経が平泉を逃れて北に逃げたという説も、可能性としてはかなり低いと言わざるを得ません。
義経が北に逃げたとする痕跡は、判官贔屓の人が嘘の痕跡を作った可能性が高いです。

痕跡を作ったのがいつの時代なのかは分かりません。
単に後の時代の判官贔屓の人が、あまりにも義経がかわいそうだということで、北に逃げたことにしようと思っただけかもしれません。

もう一つの可能性としては、義経が死んですぐ、奥州は源頼朝に攻められることになるのですが、この時現地の人たちが、戦術的に天才だった源義経の威光を借りようと、義経が北に逃げた痕跡を作り、奥州を攻めるようなことがあれば、義経が生きていて反撃に出るかもしれないと、頼朝軍を恐れさせようとしたのかもしれません。

どちらにしても、義経が北に逃げた可能性は低く、この偽の痕跡を見て、後世の人が、義経は実は北に逃げたのではないかと勘違いしたのではないかと考えられます。
かの徳川光圀公も義経生存説を唱えているようですが、その痕跡のせいで、やはり勘違いしてしまった可能性が高いでしょう。

まぁ、現代にも判官贔屓の方は多いと思いますし、可能性として100%そうとは言い切れませんが、残念ながら義経は平泉の地で死んだ可能性が高いと言わざるを得ないと思います。
 



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