苦肉の策とはどういう策?

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※この記事は過去の記事からの再掲載となります。

 

■苦肉の策

三国志時代の頃の話ですが、曹操が袁紹を倒して勢いを増し、今度は南下して呉の孫権の領土を奪おうとしました。
孫権は、頭の良い周瑜という人物を都督として抜擢し、軍の指揮を任せました。

曹操軍と孫権軍は、長江という大きな川を挟んで対峙し、戦いは船上になると予想されました。
周瑜は曹操軍の船を全て炎で焼き尽くす策を提示しましたが、曹操軍の船の数が膨大で、火攻めをしたところで被害は広がらないと考えられました。

そこで、黄蓋という呉の将軍が、自分が曹操軍に寝返ったフリをして、曹操軍の船団の中央から火を広げると申し出ます。
しかし、黄蓋は長年、呉に仕えてきた老将で、曹操が寝返りを信じるわけがないと周瑜が言います。

そこで黄蓋が提案したのが、苦肉の策です。
黄蓋は、軍議の場で、曹操へ降伏することをわざと進言します。
ここで周瑜も怒った演技をして、
「このような場で降伏すると言ったものは斬ると申したはずだ」
と言って黄蓋を死罪にしようとします。

このような芝居を全く知らなかった他の将軍たちが、必死で周瑜を止めたため、周瑜も
「黄蓋殿は長年、呉に仕えてくれた将軍であることと、他の者の進言に免じて、百叩きの刑に処する」
と言います。

これは実際に刑が執行され、黄蓋は棒で百回叩かれました。
実は呉に曹操のスパイが入り込んでいることを、周瑜らは事前に知っていたためにそこまで行ったのです。
もちろん黄蓋も承知の上で、黄蓋が刑罰を受けることを申し出たとされています。
曹操のスパイはこれを曹操に報告したため、その後の黄蓋の降伏の申し出を信じることにしたのです。

その結果、黄蓋は一隻の船で曹操軍の中央へ突入することができ、油の積んだ船が、曹操軍の船団の中央から大きな火を発生させることができました。
すかさず周瑜の船団が火矢などで火攻めをかけ、曹操軍の大船団は一夜にして炎に沈んでしまったのです。

この苦肉の策というのは、自らの肉体を痛めてでも実行する計画という意味なのですが、現代では追い詰められて苦しい時に考える手段という意味もあるようです。
この話も創作である三国志演義の話ではありますが、この赤壁の戦いの辺りは、様々な計略が錯綜しており、非常に面白い話となっています。
既にこのサイトでも紹介している計略も多いですが、興味があれば小説や映画などをご覧いただければと思います。

 



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