本能寺の変がなかったら信長は天下を取れたのか

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※この記事は過去の記事からの再掲載となります。

 

■本能寺の変がなかったら?

歴史に「もし」の話はタブーとされていますが、想像するのも楽しいので、あえて少し書かせていただこうと思います。
もし、明智光秀が乱心を起こさず、本能寺の変が起きなかったら、織田信長は天下統一できたのかという推測です。

多くの方が、できたはずと予測すると思いますが、私はできなかったと考えます。
規模や勢いだけを考えれば、確かに可能ではあるのですが、信長のやり方では、難しいのではないかと思うのです。

このサイトでも何度か書いておりますが、織田信長の性格は凶暴で、逆らったものは全て殺すという性格の持ち主です。
頭が良く、政治も斬新なことを行い、戦上手ということは認めますが、比叡山延暦寺の焼き討ちや、雑賀衆の皆殺しなど、民間人であろうとも容赦しませんでした。

このような性格だったため、一揆や謀反が相次ぎ、その中の一つである本能寺の変だけが成功したということです。
謀反を起こしたのは明智光秀だけでなく、松永久秀、荒木村重など、そうそうたる武将が信長の家臣でありながら、謀反を起こしています。

信長の家臣ですら反感を持つわけですから、他の大名たちが反発するのも当然のことです。
一時期は、信長包囲網という反信長同盟が、各地の大名同士で結ばれたことでも証明されていることであり、神仏を恐れない信長に対して、結束してこれを討つために組まれました。

まぁ、それは武田信玄の病死などで瓦解してしまいますが、信長に従いたくないという大名は少なくないということです。
もし、本能寺の変が起きなかったとしても、信長に従いたくないという大名がほとんどですので、全て戦争で滅ぼさなければならないということになります。

本能寺の変が起きた当時も、中国地方に毛利、四国に長宗我部、九州に島津、関東に北条、北越に上杉、東北に伊達などが健在であり、敵対関係となっている大名がほとんどです。
本能寺の変後、羽柴秀吉が信長を受け継ぎ、逆らったものは全て滅ぼすという信長のやり方から方向転換し、懐柔策に出たため、秀吉は天下統一することができたのです。

信長であれば、懐柔策を取りませんので、基本的に敵対した大名と全て戦わなければなりません。
それに加えて内乱鎮圧などを考慮すると、もう50年くらい必要となり、信長の生存中では無理だったのではないかと、私は考えます。

兵力を総動員すればできるのではないかというご意見もあると思いますが、このようなやり方では、次々に内部からも反発が出てきてしまうと考えられますし、戦が長引けば同盟を結んでいた北条なども敵に回る可能性は高いと思います。

ゲームなどでは、信長が天下統一するというのも難しくはないと思いますが、現実には信長の恐怖政治を否とする人が必ず出てくると考えられますので、そううまくはいかないと思います。
 



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