劉備は本当に劉邦の子孫なのか?
■劉備は劉邦の子孫なのか
三国志時代の蜀の初代皇帝劉備は、漢帝国を築いた劉邦の子孫と言われています。
正確には劉備本人がそう名乗っているのであり、いわゆる自称劉邦の子孫ということになります。
劉備としては、漢王朝の復興を目標としており、漢の帝による統治に戻そうとしてきたのです。
同じ劉邦の子孫として、その補佐をしようと若い頃は兵を率いて戦ってきました。
しかし、曹操の子、曹丕が漢の帝を廃し、自ら魏の帝の位に就いたため、漢王朝は滅亡しました。
そのため、劉邦の子孫である劉備が、魏の帝を認めず、自ら蜀の帝の座に就いたというわけです。
劉邦の子孫であるということが、自称にすぎないと書きましたが、当時は言ったもの勝ちな部分もありました。
劉邦といっても、三国志時代から四百年も前になりますし、劉邦の子孫と言っても何千人となっており、その全てを把握できているわけではなかったのです。
劉備は庶民出身なので、劉邦の子孫だったらもっと裕福なはずという意見もありますが、これは長男でない者や、女性側の子孫もありますので、徐々に位を落としていって、庶民になっている子孫がいてもおかしくはありません。
劉備が漢の帝に拝謁した時、家系図があったという話もありますが、これも創作である三国志演義の話ですし、家系図くらいは少し調べれば偽造も難しくないでしょう。
要するに、劉備が本当に劉邦の子孫であったのかということは誰にも分からないということです。
本人すら、姓は同じものの、自分が確実に劉邦の子孫であるという確信はなかったのかもしれません。
もし、劉邦の血を引いていなかったとしたら、三国志の話も見方が少し変わってきてしまいますが、劉備が仁徳や義を重んじる素晴らしい人物だったことに変わりはなく、劉邦の子孫かどうかはあまり重要ではないのかもしれません。