上杉謙信が独身を貫いた理由
■上杉謙信はなぜ生涯独身だったのか
上杉謙信は、一度も結婚せず、実子もいませんでした。
上杉謙信ほどの大名ともなれば、女性に困ることもありませんし、国を乱さないためにも世継ぎが必要です。
養子は三人ほどいましたが、やはり戦国時代の大名であれば、実の自分の子どもに後を継がせるのが普通です。
実際、上杉謙信の死後は、後継者争いが発生し、一時的に国は乱れてしまいます。
では、なぜ上杉謙信は一度も結婚をしなかったのでしょうか。
諸説ありますが、もっとも有力なのは上杉謙信の男色説です。
現在でも同性愛者というのは、テレビなどでよく見かけますが、戦国時代でもそういった人物は多かったようです。
大名クラスでもそういった人は結構多かったらしいですが、後継者が必要なため、我慢して結婚し、子どもを作ったらしいです。
かの武田信玄もそうだったのではないかと言われています。
上杉謙信は養子をもらうことで、後継者問題を回避しようとしていたようですが、やはり結婚をしなかったのは謎です。
この説の発端は、武田信玄が信濃攻略のため、村上義清という豪族が信濃から追い出され、長尾景虎(後の上杉謙信)を頼ったのですが、その時に無条件で助け、武田信玄から奪い返した土地を、村上義清に返しています。
普通の大名であれば、無条件でこのようなことを受けるのは考えられないのですが、もしかしたら当時の長尾景虎は村上義清に好意を抱いたのではないかと言われています。
上杉謙信女人説もあるのですが、これは下克上の世の中では無理があると思います。
いくら優秀な女性だったとしても、わざわざ女性に男性のフリをしてもらって上に担ぐよりも、家臣の方が地位や権限を奪うことを考えるはずだからです。
いずれにせよ、はっきりとしたことは分かりませんが、軍神と言われた上杉謙信がこのような問題を抱えていたのは興味深い話です。
■上杉謙信は誰を後継者にしたかったのか
上杉謙信の後継者として、上杉景勝が後を継いだということは周知の事実ですが、上杉謙信はこれを望んでいたのでしょうか?
上杉謙信は謎が多い人物です。
生涯一度も結婚をせず、養子はいましたが、実子は当然いませんでした。
そうなると、後継者を誰になるかが問題になりますが、やはり謙信の死後に後継者問題が発生し、内戦が起こります。
上杉景勝は、謙信の姉の息子で、謙信の養子になっています。
これと争ったのが、北条氏康の七男の三郎(上杉景虎)で、こちらも謙信の養子となっています。
普通に考えれば、親戚にあたる景勝が正当な後継者で問題ないように思えますが、謙信は北条三郎の方を後継者にしようとしていた可能性があります。
北条と上杉は、関東管領の地位を争い続けた歴史があります。
しかし、武田・今川・北条の三国同盟を、武田信玄が破り、今川・北条を攻めたことで、北条氏康は危機に陥ります。
そこで、犬猿の仲である上杉と同盟を結んで、危機を乗り越えようとしました。
上杉・北条同盟は苦労の末に成立しますが、この時お互い人質を差し出しています。
北条が上杉に差し出した人質が北条三郎です。
また、同盟の条件として、上杉謙信が正式に関東管領なるということを、北条は認めました。
しかし、北条氏康が病死すると、実権を握った息子の北条氏政は、上杉・北条同盟を破棄して、武田と再び同盟したのです。
通常ならこれで人質は戻されるのですが、上杉からの北条の人質は返されたにも関わらず、北条三郎は戻りませんでした。
これは、上杉謙信に実子がいないことと、北条三郎が正式な上杉謙信の養子となっていたためと思われます。
つまり、北条方の考えとしては、このまま上杉謙信が亡くなれば、北条家の人間が上杉家を継ぐ可能性があり、上杉家を乗っ取ることができるかもしれないので、敢えて人質の返還を要求しなかったのです。
ここで、問題となるのが、なぜ上杉謙信が北条三郎を返還しなかったのかということです。
無理にでも人質を返すと言えば、実現できたはずです。
しかし、そのまま北条三郎を返さなかったのは、三郎に上杉家と関東管領の職を譲るつもりだった可能性が高いのです。
仮にそうだったとすると、今度はなぜ犬猿の仲である北条の血を持つ者を後継者にしようと思ったのかが問題となりますが、これは以前述べた「上杉謙信男色説」が浮上します。
謙信が北条三郎に並ならぬ好意を抱いたのであれば、辻褄は合います。
また、北条三郎は謙信の正式な養子になったという記録はありますが、景勝が正式に養子になったという記録は存在しないようで、直江兼続らが上杉家を守るために色々と工作した可能性があります。
謙信は、病気によって急死したため、遺言を残さなかったという問題もあります。
謙信が「景勝を後継者とする」という遺言を残したというのは、直江兼続の策でしょう。
御館の乱という後継者争いの結果、上杉景勝が勝利して、正式に後継者となりましたが、謙信の意志とは違う結果だったのかもしれません。