言葉を知る20

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前回に続き、間違いやすい日本語などを少しご紹介させていただこうと思います。

 

■「感謝の言葉もない」は感謝しているのか

相手に感謝する際に、
「感謝の言葉もありません」
とか
「お礼の言葉もない」
などという表現がありますが、これは正しい言い方なのでしょうか?

そのままの意味で受け取ると、感謝してないのかと思ってしまいます。
おそらく、
「感謝のあまり、言葉が出ないです」

「どうお礼の言葉を伝えれば良いか分からない」
ということを省略しているかと思われます。

つまり、感謝が大きいということで、間違った表現ではないのですが、
「感謝の言葉もありません」
「お礼の言葉もない」
などだと、省略しすぎている気もしますので、そういった場面では、なるべく省略しない方が良いかと思われます。

 

■失礼極まりない?

「失礼極まりない」
という言葉があります。

言うまでもなく、とても失礼だという意味ですが、
「失礼極まる」
でも、とても失礼という意味なのに、「失礼極まりない」と否定文にしても、同じ意味になるのでしょうか?

「極まり」が頂点という意味なので、「極まりない」は頂点に達していないという意味にとらえてしまいがちですが、「極まりない」は限界点がないという意味になるので、「失礼極まりない」は限界を超えて失礼だという意味になります。
「極まる」より「極まりない」の方が、もっと強い表現になるかと思います。

色々考えるとややこしいですが、意味を勘違いしている人は少ないと思いますので、そのままで覚えておいていただければと思います。

 

■バリスタとは?

コーヒーを作る人をバリスタと言いますが、ゲームをよくやる人は中世の戦争でバリスタというものが出てくるのをご存知かと思います。
もちろん、このバリスタはコーヒーを作る人ではなく、台に乗せた大型の弓のことです。

コーヒーのバリスタは、イタリア語でbaristaです。
これは、酒場を意味するバー(bar)で働く人という意味です。

弓のバリスタは、ラテン語でballistaです。
大型弩砲で、射程の長い弓を射ます。この弓を射る人をバリスタ兵と呼びます。

まぁ、弓のバリスタの方は知らない人が多いかもしれませんが、もし同じ疑問を持った方がいらっしゃったら、参考にしていただければと思います。

 

■同音で意味の異なる漢字

以前も書きましたが、続きとして同音で意味の異なる漢字を少しご紹介させていただこうと思います。

「食う」、「喰う」は、どちらも同じで食べ物を食べるという意味ですが、「喰う」は「パンチを喰らう」など攻撃を受けるという意味で使われることが多いかもしれません。

「飲む」、「呑む」の違いは、「飲む」の方は、基本的に飲み物を飲む時に使いますが、「呑む」は大きな口を開けて飲んだり食べたりする時に使います。酒の場合は、「酒を呑む」を使う場合が多いでしょう。
また、「要求を呑む」など、飲み物以外は「呑む」を使いますが、「飲む」を使っても良いようです。

「貼る」、「張る」の違いは、「貼る」はシールやテープなど何かを付ける時に使い、「張る」はそれ以外の「胸を張る」や「氷が張る」「値が張る」などに使います。

「飛ぶ」、「跳ぶ」、「翔ぶ」の違いは、「飛ぶ」は空を飛ぶ時に使い、英語ではflyになります。「跳ぶ」は地面を蹴って高く上がる時に使い、英語ではjumpになります。「翔ぶ」はあまり使いませんが、翼を広げて空高く翔ぶ時に使う場合があります。

「重体」、「重態」の違いは、「重体」は事故などで命に関わるほどの怪我をした状態で、「重態」は病気で命に関わるほど重い状態という意味です。

「重傷」、「重症」の違いは、「重傷」が骨折など重い怪我をしたものの、命には別状がない状態で、「重症」は病気が重いものの、即座には命に別状がない状態です。

「斬る」、「伐る」、「切る」の違いは、「斬る」が人を刀などで斬りつける時に使い、「伐る」は木を伐る時に使います。「切る」はそれ以外を切る時に使います。

「対象」、「対照」、「対称」の違いは、「対象」は狙いを定めたもので、英語ではtargetになります。「対照」は「対照的」など比較して違いがはっきりしている状態です。「対称」は「左右対称」など、形や配列が全く同じという意味です。

「靴」、「沓」、「履」は、いずれも履物を意味しますが、「靴」が一般的に使われる漢字で、「沓」は主に革製の履物に使い、「履」は装束の履物に使う場合があるそうです。

「異義」、「異議」、「意義」の違いは、「異義」は異なる意味を表し、「異議」は異なる意見や反対意見を表し、「意義」は「意味」と同義語ということです。

「競争」、「競走」の違いは、「競争」がある分野で他人と争うということに対し、「競走」は100m走など、足の速さを争うことです。

「分かる」、「解る」、「判る」は、理解した時にいずれを使っても良いようですが、「分かる」は相手の話を理解した時や命令などを承知した時、「解る」は仕組みや解き方などを理解した時、「判る」は真実などが判明した時に使うと良いかもしれません。

「自愛」、「慈愛」の違いは、「自愛」は自分を大切にすることに使い、「ご自愛ください」はこちらを使います。「慈愛」は人や物を我が子のように慈しむ気持ちのことです。

「目」、「眼」はどちらも物を見る目を意味しますが、「眼」は眼球を表す言葉です。メガネを「眼鏡」と書くのは、眼球の機能を矯正するからということです。「目」の方は、人間の目だけでなく、台風の目や碁盤の目などにも使います。

日本語は非常に多くの同音で意味の異なる漢字がたくさんありますが、続きはまた別の機会にご紹介させていただこうと思います。

 



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