歴史の面白い謎11

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前回に続き、歴史の面白い謎について検証してみたいと思います。

 

■坂本龍馬は誰に暗殺されたのか

現在でも謎として名高いものに、坂本龍馬は誰に暗殺されたのかというものがあります。
私もそれほど詳しいわけではありませんが、様々な説から検証してみたいと思います。

説として最も有力なのが、佐幕派の誰かが恨んで、見廻組という組に指示して殺したというものです。
佐幕派というのは、当時徳川幕府を支持していた人たちのことで、主に徳川幕府の恩恵に預かっていた大名やその家臣たちに多い思想です。

見廻組というのは、幕府の組織で、当時の幕府側の警察に当たる新選組に近い存在です。
坂本龍馬が殺された近江屋に残された状況などから、この見廻組の人という証拠と思われるものもあるそうです。

坂本龍馬は、幕府の徳川慶喜将軍に大政奉還を迫り、幕府を崩壊させたという事実から、多くの人に恨みを買っていたと思われます。
この場合の黒幕については、徳川慶喜も浮上してきます。

徳川慶喜は、大政奉還をした張本人ではありますが、倒幕の声を鎮めるための一時的な対処だったはずが、徳川幕府政権に戻すことが困難になったことから、騙した坂本龍馬を恨んだというものです。
ただ、坂本龍馬は騙したつもりはなく、純粋に幕府を降伏させて天皇に政権を戻したかっただけであり、騙したのは他の人たちである可能性は高いです。
徳川慶喜は、それを知らず、勘違いから坂本龍馬を恨んだのではないかということです。

しかし、他にも多数の説があり、西郷隆盛が黒幕だったとする説もあります。
西郷隆盛は、幕府を大政奉還などではなく、戦争をして完全に徳川家と幕府の面々を排除しなければ禍根が残ると考えていました。

結果、坂本龍馬は死亡したことにより、戊辰戦争が起こり、江戸城の無血開城に至り、最後は五稜郭の戦いで旧幕府軍は完全に滅んでいます。

確かに動機としては十分とは思いますが、西郷隆盛の性格からして、坂本龍馬を暗殺してまで戦争に持ち込むかどうかというのは疑問が残ります。
西郷隆盛の性格は、大らかで自分が好きな人の意見には耳をよく傾け、大事な人はとことん大事にするような性格の持ち主で、生涯一貫しています。

坂本龍馬と西郷隆盛は仲が良かったと思われ、薩長同盟にも龍馬が苦労して活躍してくれたことから好意に思っていたはずです。
そのことから、いくら西郷隆盛が戦争で幕府軍を滅ぼしたいと思ったとしても、坂本龍馬の暗殺を指示したとは考えにくいのです。
それに、そもそも西郷隆盛が黒幕なら、幕府の見廻組に指示することはできないはずで、近江屋の証拠と矛盾します。(近江屋の証拠というのも確実性があるわけではありませんが)

他にも、紀州藩の人が黒幕とする説もあります。
と言いますのは、坂本龍馬が貿易する船と、紀州藩所有の幕府の船が衝突し、龍馬の船が沈没したため、龍馬が紀州藩に対して多額の損害賠償を請求したことから、紀州藩の人たちが坂本龍馬を恨んだというものです。

これも、動機としては十分ですが、紀州藩が見廻組を動かす権限があったのかどうかは疑問が残ります。

いずれにしても、幕府の見廻組が暗殺をしたという線は濃厚ですが、黒幕については明確になっていません。
引き続き、私の方でも調査と考察を続けていきたいとは思いますが、何か情報をお持ちの方がいらっしゃったらコメントいただければと思います。

 

■西南戦争の原因は何か

西南戦争の原因となったことについても、少し謎が残っています。

西南戦争が始まる前、西郷隆盛は征韓論が排除されたことから、薩摩に戻り隠居のような生活を送っていました。
当時、長州藩や薩摩藩の兵たちは、新政府に対する不満から、戦争の気運が高まっていたという状況で、西郷隆盛はその兵たちを抑えていたという説が濃厚です。

そんな時に薩摩藩が挙兵し、西南戦争が勃発しました。
その原因としては、明治政府が西郷隆盛を暗殺しようとしたと、薩摩藩側は説明しています。

これについては、西南戦争の後に、明治政府が薩摩藩の主犯格を裁判にかけ、説明を受けています。
確かに、明治政府は西郷隆盛の様子を探るために、何人か密偵を薩摩に送っていたようです。

しかし、西郷隆盛を暗殺するという指示を受けていたわけではなく、薩摩藩の誰かが勘違いした可能性があります。

西南戦争の原因としては、明治政府が管理していた武器弾薬輸送を、薩摩の私学校兵が襲ってしまったことから、明治政府の追及を恐れて、薩摩藩が挙兵したと考えられています。
ただ、それが挙兵の理由だとすると、薩摩藩に大義名分が一切なくなってしまうため、明治政府が西郷隆盛を暗殺するという情報があったとでっち上げたか、本当に勘違いした可能性が高いです。

明治政府が西郷隆盛を実際に暗殺しようとしていたのではないかという可能性も0ではないですが、大久保利通などは、薩摩兵たちの暴発を抑えてるのは西郷隆盛だと認識していたため、暗殺の指示を出す可能性は低いのではないかと思われます。

従って、西南戦争の原因は、西郷隆盛を暗殺しようしたから挙兵したのではなく、薩摩の私学校兵が暴発したというのが有力かと思います。

 

■織田信長は残虐な人ではない?

先日、テレビの歴史番組で、織田信長は実は残虐な人ではなく、足利将軍にも臣従しようとしていたという新説があるというのを見ました。
信長は、本当は天下布武ではなく、天下静謐を掲げようとしていたとするなど、今までの残虐なイメージが小説などによって作られたイメージで、本当は優しい人だったというものです。

確かに、江戸時代に流行った小説などで、信長に悪いイメージを植え付け、徳川こそ天下の将軍だとする小説が流行ったことで、信長に対して悪いイメージやエピソードが作られた可能性もあります。

ただ、それが正しいとすると、歴史の文献とも様々なところに矛盾が生じるのではないかと私は思います。

信長は最初は足利将軍を利用したというのが通説ですが、本当は足利将軍を助け、室町幕府を再興しようとしていたというのです。

明智光秀は、足利将軍と親密で、朝倉などに室町幕府を助けようとしても相手にされず、やむを得ず織田信長に頼んだところ、快い返事をもらったことから、明智光秀も信長に仕えるようになりました。
信長が上洛して足利将軍を京都に戻した後、足利将軍が信長を恐れて、各地の大名に信長討伐令を出したことから、信長が足利将軍を見限りました。

これだけだと、信長は足利将軍の権威を利用しようとしたのか、室町幕府を本気で再興しようとしていたのかは分かりませんが、もし足利将軍に臣従しようとしていたのなら、信長は本当のうつけになってしまうのではないかと思ってしまいます。

足利将軍はもはや何の力も持たず、これを再興したところでメリットなどほとんどありません。
しかし、その権威だけなら利用価値はあります。

なので、足利将軍の権威を利用するために助けたなら賢いですが、室町幕府を再興するために助けたなら、あまり賢明とは言えません。

他にも、比叡山焼き討ちは、当時は僧兵といって仏教徒の人たちと戦うのは普通にあったなどの説明もありましたが、それは別に信長が残虐でなかったという証明にはなりません。
比叡山焼き討ちの問題は、なぜ僧兵のみならず、女子供までを虐殺したのかということです。

他にも、雑賀衆皆殺しや、伊賀攻めなども全てでっち上げとでも言うのでしょうか?
また、信長が本当に残虐な性格でなければ、なぜ松永久秀、荒木村重、明智光秀らは信長に対して謀反を起こしたのでしょうか?

江戸時代の小説から、多少の誇張はあるとは思いますが、信長が残虐な性格ではなく、優しい人だったとするにはかなり無理があるように思えます。

もちろん、今となっては真実がはっきりと分かるわけではありませんが、歴史について慎重に研究をする必要があるとは思います。

 



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