思考能力の鍛え方
今回は思考能力の鍛え方のようなものをご紹介したいと思います。
思考能力とは言いましても難しい話ではなく、考え方や脳の使い方というように、幅広く考えていただければと思います。
■合理的、効率的に考える
頭の良い人は、何か行うにしても、どのような手順や動き方をすれば、最も効率的かを考えます。
仕事にしても、生活の行動などでも、始める前にシミュレーションしたり、計画を立てたりするものです。
ちょっとした行動でも、瞬時にこれを行い、最も効率的な方法を考えてから行動に移します。
例えば、営業の外回りでは、目的地を手当たり次第に回るのではなく、どのようなルートで行けば、最も短い距離で済むのかを考えた上で回れば、時間を無駄にせずに済みます。
朝、出社してパソコンを起動しているちょっとした時間でも、その間にトイレを済ませたり、飲み物を買ったりするということは、皆さんされていると思いますが、これも効率を考えた行動と言えます。
生活でも、例えば料理などでも、効率を考えるようにしましょう。
まぁ、料理をするほとんどの方がしているとは思いますが、具材を煮ている間に、別の具材を切ったり、副菜を調理したりします。
それだけでなく、料理には手順がありますので、どのような順番で調理するのが最も効率的かを考えた上で行った方が、時間を無駄にせずに済むでしょう。
料理をするというのは、それだけ頭を使いますので、ある意味、良い脳トレとも言えます。
その他の家事でも、洗濯機を動かしている間に風呂掃除をしたり、買い物に行くついでに郵便物を出してくるなども、効率的なことと言えます。
細かいことでも、常にどのような行動が効率的かを考え、行動するということか思考能力の向上に繋がると言えるでしょう。
■物事の本質を理解する
物事の本質を理解するというのは、非常に大切なことなのですが、多くの人ができていないようです。
世の中の事件に対して、誹謗中傷するようなネットの書き込みも多いですが、本質を理解せずにこういった書き込みをする人が多く、誹謗中傷された人は傷ついてしまうことになります。
事件だけでなく、ちょっとしたツイッターの発言などでも、真の意味は全く違うところにあるのに、表面的な部分しか理解できない人たちが、クレームや誹謗中傷するようなコメントを書き込むということが多いようです。
ネット上は、匿名で書き込まれることが多いので、それを良いことに日頃のストレスを発散するかのように、心ないことを書く人が多いのも事実でしょう。
しかし、自分がそういったことを行ってしまっていないかも、しっかりと考えていただきたいと思います。
そのためには、物事の本質を理解するということが大切です。
物事の本質と言っても、簡単に理解できるわけではありません。
ただ、まずは早とちりをしないことです。
誰かが、事件などに対しての感想を書き込んでいるのを見て、腹が立ったとしても、一度落ち着いて、どうしてこの人はそういう考え方をしたのかをじっくりと考えたり、その他の情報を集めたりして、本当にその意見がおかしいのか、それとも何かもっと深い意味があっての書き込みなのかを考えましょう。
その上で、おかしいと判断できれば、クレームなり反論なりすれば良いですが、本質が分からないままそういった発言をするのは控えましょう。
以下に一例を挙げます。
昨今、米朝首脳会談が行われるということで、ニュースになっています。
北朝鮮が非核化するということを自ら言っていて、核実験場も閉鎖して、その映像も見せるという発表もあり、これに対して非核化はないという意見を出している人たちを批難するようなネットの書き込みがありました。
これについて、よくよく考えてみましょう。
北朝鮮は、確かに核実験場を閉鎖するでしょうし、その映像を見せることも可能でしょう。
というのも、その核実験場は役割を終えていて、一度大規模な核実験を行うと、実験場自体がボロボロになることが多く、別の実験場に移さなければならないこともあります。
恐らく、そこの核実験場を閉鎖するタイミングで、米朝首脳会談が出てきているからそう言っているのであり、もちろんその映像も公開することは可能なのでしょう。
しかし、別の核実験場を作り、核実験を続けるのは明らかであり、非核化はないという意見の人を批難している人が、物事の本質を捉えられていないということになります。
もし、自分が北朝鮮の主導者なら、今までさんざん核開発に資金を投じてきて、実験を続けてようやく使えるものができてきたのに、手放すということをするでしょうか?
非核化をエサに、経済制裁解除や経済支援金を要請してくるという可能性は極めて高いと言えるはずです。
以前も、北朝鮮は核実験場を爆破した映像を見せて、非核化を条件に交渉を有利に進めたという経緯があるようです。
その後、約束を破り、核実験を再開したのはご存知の通りです。
このように、物事の本質を理解するということは、非常に難しいことではあるのですが、これができるようにならなければ、頭の良い人には近づけませんので、表面上にしか見えないものについて意見を言うのではなく、じっくりと考えたり、情報を集めて、物事の本質を理解できるようにしましょう。
■科学的根拠は正しいのか
ある意見に対して、やたらと科学的根拠がないとか、こういった科学的根拠があるから、それは間違いだという方もいらっしゃいますが、科学的根拠はそんなに信頼できるものでしょうか。
と言いましても、もちろん科学的根拠は信頼できます。
ただ、100%ではありません。
例えば、仮の話ですが、ある食材の成分を分析した結果、発ガン性物質が含まれるので、この食材を食べるのはなるべく控えた方が良い、という科学的根拠の発表があったとしましょう。
しかし、数十年にわたる統計結果を取ってみると、その食材を定期的に摂取している人の発ガン率は、その食材を食べない人に比べて、逆に低かったという統計結果が出ます。
その結果を受け、よくよくその食材をもう一度調べると、確かに発ガン性物質は含まれているのですが、同時にこの食材に多く含まれるある物質が、ガンを抑制するということが分かり、この食材はガン予防に良いという発表に変わった、ということがあるかもしれません。
つまり、科学的根拠と言っても、上のような間違いはあるわけであり、統計データの方がよほど信頼できるということです。
上は仮の話ではありますが、あり得ない話ではないと思います。
要は、科学的根拠と言っても100%正しいとは限らないということです。
統計結果の方が信頼ができると書きましたが、統計データも分析の仕方によっては間違った方向に行く可能性もあるので、注意が必要です。
例えば、ある県が日本一長寿の県という統計結果と、その県では、ある食材の消費量が日本一だったという統計データがあったとしましょう。
これらの統計データから、その食材が健康に良いと考えるのは早計かもしれません。
もしかしたら、その県は山が多かったり、農業をする人が多く、身体を動かすことが多いから日本一長寿の県になっただけで、その食材はあまり関係ないかもしれないのです。
統計データ自体の出どころや信頼性も気をつけておく必要があります。
データを公表している組織が信頼できるところなのかや、データ自体の信頼性も重要です。
データの信頼性というのは、例えば日本人は1億2000万人ほどいますが、その中の100人にアンケートを取って、それが日本人の統計だと言ったところで、統計データとしての信頼性は低いというものです。
また、統計データも性別や、地域、年齢などで分けて分析すると、全く違った見方ができることもあります。
このように、統計データは結果ですので、大いに信頼できるデータではあるのですが、あまり信頼のできない統計データを見たり、分析の仕方を誤ったりすると、間違った方向に行くことがありますので、こちらも注意が必要です。
いずれにしましても、科学的根拠も統計データも、信頼できる情報ではありますが、これを分析する人によって、間違ったり、逆にフルに活かしたりもできるということを覚えておきましょう。