歴史の面白い謎12

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前回に続き、歴史の面白い謎について、少しずつ考察してみたいと思います。

 

■源義経生存説

平安時代末期、平家討伐に活躍した源義経は、兄源頼朝に謀反を疑われて追われる身となり、奥州平泉にまで逃げ、藤原氏に匿われました。
この平泉の地で、藤原氏の裏切りに遭い、義経は弁慶らとともに討たれたわけですが、実は平泉から北に逃げたのではないかという説があります。

確かにわずかながらにそのような痕跡があり、さらには海を渡り、ジンギスカンとなったのではないかとまでする説もあります。
痕跡というのは、平泉から北の地には、義経は行ったことがないはずの場所に、岩などに義経が訪れて書いたとされるものが残っているらしいです。

ジンギスカンの説はさすがに無理があるかと思いますが、義経が平泉を逃れて北に逃げたという説も、可能性としてはかなり低いと言わざるを得ません。
義経が北に逃げたとする痕跡は、判官贔屓の人が嘘の痕跡を作った可能性が高いです。

痕跡を作ったのがいつの時代なのかは分かりません。
単に後の時代の判官贔屓の人が、あまりにも義経がかわいそうだということで、北に逃げたことにしようと思っただけかもしれません。

もう一つの可能性としては、義経が死んですぐ、奥州は源頼朝に攻められることになるのですが、この時現地の人たちが、戦術的に天才だった源義経の威光を借りようと、義経が北に逃げた痕跡を作り、奥州を攻めるようなことがあれば、義経が生きていて反撃に出るかもしれないと、頼朝軍を恐れさせようとしたのかもしれません。

どちらにしても、義経が北に逃げた可能性は低く、この偽の痕跡を見て、後世の人が、義経は実は北に逃げたのではないかと勘違いしたのではないかと考えられます。
かの徳川光圀公も義経生存説を唱えているようですが、その痕跡のせいで、やはり勘違いしてしまった可能性が高いでしょう。

まぁ、現代にも判官贔屓の方は多いと思いますし、可能性として100%そうとは言い切れませんが、残念ながら義経は平泉の地で死んだ可能性が高いと言わざるを得ないと思います。

 

■明智光秀謀反の動機

つい最近、歴史的な発見があったとニュースがあり、それは本能寺の変の頃、明智光秀から足利将軍に宛てた手紙が見つかったとのことです。
これにより、明智光秀が足利将軍を京に戻し、室町幕府を再興したのではないかという説が一気に有力になりました。

これまで、このサイトでは、明智光秀は、織田信長の恐怖政治を止めようとしたのではないかと考えてきましたが、この発見により、室町幕府再興説が有力となってきたと考えを変えざるを得ません。
ただ、明智光秀が室町幕府を再興しようとしたのかどうかは、もう少し検討の余地があるかもしれません。

と言いますのも、まず明智光秀は天下統一を狙っていたわけではないという説がありました。
これを裏付けるものとして、信長の後を引き継いで天下統一を狙ったのだとしたら、謀反を起こす際に事前に、上杉、毛利、北条などに協力を要請するはずですが、この手紙などが一切残っていないということです。

つまり、ほぼ単独で謀反を起こしたことになります。
このため、天下統一を狙っていたわけではないというのが一般的な考え方です。

もちろん、手紙などの証拠が今後出てくる可能性がありますので、完全には否定できるものではありませんが、他の大名の手紙などからも、明智光秀の謀反は意外だったというのが残っているので、やはり明智光秀は、ほとんどの大名に協力を要請していなかったと考えられています。

今回の発見では、足利将軍への手紙が発見されたわけですが、これは援軍要請とかではなく、単に京に将軍を迎えるという内容だったようです。
当時、足利家はもはや権力も兵力もほとんど失った状態でしたので、援軍を要請したとしても役には立たないでしょう。

そうなると、やはり室町幕府を再興しようとして、足利将軍を迎えようとしたのかとも考えられます。
ただ、ここで出て来るのが、室町幕府を再興しようとしていたなら、なおさら他の大名の協力が必要だったのではないかということです。

明智光秀単独では、室町幕府の再興など無理があります。
一部、長宗我部の協力要請はあった可能性が高いですが、それだけでは織田の残党には勝てないのは容易に想像ができます。

謀反に成功すれば、他の大名や織田家の残党も、何も言わずとも明智に協力してくれるかもしれないという算段があったかもしれませんが、室町幕府を再興しようとしていたならば、その期待は薄くなります。

当時の大名たちは、もはや室町幕府には見切りをつけ、自分たちが天下を獲る、もしくは天下を獲るような大名に協力するという考えが普通だったかと思います。
もし、他の大名たちが、室町幕府を再興するために明智光秀が謀反を起こしたと知れば、協力はしない可能性は高くなってしまうかと思います。

ただ、足利将軍は、やはり征夷大将軍でしたので、その地位は、名目上は武家でNo.1ということになります。
そのため、明智光秀はその威光を利用しようとしたのではないかとも考えられます。

織田信長も、足利将軍に従うつもりは全くないのに、足利将軍を匿い、足利将軍とともに上京しました。
これは、足利将軍の威光を利用したもので、明智光秀も同じようなことをしようとしたのかもしれません。

とは言え、この場合も他の大名に協力要請はしておいた方が良いに越したことはありません。
それがなかったのは、謀反を思い立ってから、羽柴秀吉に討たれるまで、手紙を書く余裕があまりなかったのかもしれません。

たまたま、信長を本能寺で襲える機会があったので謀反を起こし、その後は短い期間ながら、織田家とずっと戦っていたので、他の大名との外交は後回しとなっていた可能性があります。

他の大名への協力要請よりも、足利将軍への手紙が優先されたのは、明智光秀が足利将軍とかつて接触していたからという可能性が考えられます。
明智光秀は、最初は美濃の斎藤家家臣でしたが、織田家に斎藤が破られると、足利将軍とともに朝倉などに、足利将軍に協力してくれる大名を探して、最終的に信長に取り立てられています。

その時からかなり時は経っていますが、足利将軍と何らかの約束があり、その奉仕を忘れていなかったということかもしれません。
真相は、まだまだ解明されていませんが、また何かあれば、今後も考察していきたいと思います。

 

■真珠湾奇襲攻撃は卑怯なのか

太平洋戦争では、日本が真珠湾へ奇襲攻撃したことで、開戦しました。
アメリカ側は、宣戦布告なく真珠湾を攻撃したのは卑怯だと、現代でもそういった声があります。

確かに、日本側の手違いで、宣戦布告直後に真珠湾を奇襲する予定だったはずが、宣戦布告が遅れ、先に真珠湾奇襲をしてしまったのは事実のようです。
しかし、そうだったとしても、戦争である以上、敵の虚を突くのは当たり前であり、この攻撃はさほど卑怯とは言えないのではないかと思います。

そもそも、宣戦布告してから奇襲攻撃しても、それは奇襲にはならず、敵の防御態勢が整ってしまえば、奇襲攻撃は失敗してしまいます。
宣戦布告などは、大義名分にもならず、戦国時代などでも、宣戦布告をしてから戦争をするというケースの方が少なかったはずです。

紀元前200年頃の中国では、劉邦と項羽が和睦を結んだにも関わらず、その直後に劉邦か項羽に奇襲攻撃をしかけ、勝利を収めています。
宣戦布告は、一種の礼儀であり、戦争時に礼儀を保つべきなのかどうかは疑問と言わざるを得ません。

アメリカがこれを責め続けるのは、日本に対する核攻撃を正当化したいからに過ぎません。
軍事施設に核爆弾を使うのはまだしも、明らかに民間人を狙った攻撃であり、こちらの方が数百倍卑怯と言えます。

民間人は、直接的には戦争とは関係ないわけであり、何十万人もの民間人を虐殺したのは、卑劣極まりないと言えます。
にも関わらず、これはあまり批難されずに、真珠湾の奇襲の方ばかりが批難されてしまうのは、「勝てば官軍負ければ賊軍」ということです。

戦争は勝たなければ意味がありません。
負けてしまえば、勝った国の言いなりになるしかなく、このような状況になっています。

日本にとっては、この太平洋戦争が最後の戦争であり、それまで勝ち続けていた日本が最後に負けてしまい、敗戦国として現在に至っています。
これによって、アメリカの言いなりになる日本ができあがってしまったわけであり、今後のこの日本がアメリカに従い続けているという状況が、戦争の波に飲まれた時に、悪い方にいかないか非常に懸念されることでもあります。

我々日本人は、アメリカに頼ることなく、強かった日本人のご先祖様を忘れないようにする必要があるのかと思います。

 



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