兵法を学ぶ
昨今はあわや戦争かと危ぶまれる声も大きいですが、本当に攻撃をするつもりなら虚を突くものです。
戦争準備をしていると公表するのであれば、単なる挑発や外交に過ぎませんので、早合点しないように注意しましょう。
ただ、今後開戦がないとは言えませんので、この辺りについては別の機会にまた記事を書かせていただこうと思います。
今回はこういった戦略や兵法の基本について、少しご紹介させていただこうと思います。
■遠交近攻策
近代戦争では、遠くの国に攻撃するのも、比較的難しくはなくなりましたが、昔の戦争は遠くの国を攻撃するのは大変なことでした。
兵士はもちろん、武器や兵糧などの輸送を考えると、遠征は楽なものではありません。
こういった事情もありますが、国を攻める際に注意すべき国の関係もあることから、遠交近攻策という戦略が古くから用いられています。
遠交近攻というのは、遠く交わり近くを攻めるということで、意味としては、遠くの国と同盟を結び、近くの国を攻めるのが良いということです。
もし、逆に近くの国と同盟を結び、同盟国を飛び越えた先にある遠くの国を攻めた場合、その同盟国が裏切ったら、本国や遠征軍が危うくなります。
遠征軍は挟撃に遭い、物資の補給路も絶たれてしまうことになり、壊滅的な被害を受けることになりかねません。
遠くの国と同盟を結び、近くの国を攻めた際に、遠くの同盟国が裏切ったとしても、被害は抑えられます。
このため、近くの国を先に攻めて、国の領土を地道に拡げた方が良いという戦略が遠交近攻策です。
戦略を考える上での基本的な考え方ですが、非常に重要な戦略とも言えます。
近代戦争でも、戦闘機や戦艦などで遠くの国を攻めるのが簡単になったとは言え、もし近くの同盟国が裏切ってしまったら、本国が危うくなります。
まぁ、かと言って、近くの国の同盟を破棄して、その国から攻めろというわけにはいきませんが、遠征の際はそのくらいの危険があるという認識は持っていた方が良いということかと思います。
■地形と用兵
孫子の兵法書には、戦術の基本が書いてありますが、非常に重要なことですので、戦争をする指揮官がこれを読んでいるのと、読んでいないのでは、大きな差が開くと言っても過言ではありません。
戦争をしない人にとっても、経営や生きる上での考え方として、役立つことも大いにあると思いますので、ぜひとも一度は読んでいただきたいものです。
孫子の兵法書には、地形の利用や、用兵についても、細かく書かれています。
地形というのは、山や森、砦などを利用したものです。
森に兵を配置すれば、当然木々で兵が見えづらくなり、兵が死ににくくなります。
反面、攻撃するのも難しくはなりますが、うまり利用すれば、優位に攻撃ができます。
近代戦争でも、土豪や建物を利用しての白兵戦は当たり前だと思いますが、場所によっては、山を爆撃して土砂崩れによる攻撃や、湖やダムを攻撃しての水攻めなども考えられます。
また、兵の士気というのは非常に重要で、士気が極端に低くなれば、敵前逃亡も増えてしまい、軍隊として機能しなくなってしまいます。
士気を上げることで、兵のやる気が引き出し、兵士たちの力を十分に活用できるようにすることが重要です。
中国の漢帝国建国に貢献した韓信という将軍は、背水の陣を利用して、兵のやる気を最大限に引き出しています。
これについては、以前も記事で書いたので省略しますが、川を背にして布陣することで、兵を死地に追い込んでいます。
死地というのは、逃げ場がなく死を決した場所という意味で、孫子の兵法書にも兵を死地に追い込めば兵の力を最大限に引き出せると書いてあります。
逃げることができないのであれば、戦うしかないわけであり、戦って勝つ以外に自分が生き残る道がないという状況に追い込むことで、兵士が力を出すということです。
逆に敵を死地に追い込んでしまっては、こちらの被害も甚大なものになってしまいます。
窮鼠猫を噛むという言葉もあるように、敵が逃げ場を失えば、捨て身の攻撃に出るということです。
例えば、敵を城に追い詰め、城の周りを全て兵で囲んでしまった後に攻撃をすれば、敵は戦うしかなく、味方も相当な被害を受けることになります。
しかし、わざと逃げ道を空けておくと、敵はそこから脱出を図りますので、逃げた先に伏兵を置いておけば容易に勝つことができるというわけです。
士気の上げ方は、色々な方法がありますが、例えば宴会をしたり、褒美をたくさん出したりすることでも士気が上がります。
一度、戦いに勝つと、士気が大きく上がりますので、戦略的効果が低くても、手薄なところを攻めて勝利することで、士気を上げるという方法もあります。
逆に戦いに負けたり、兵糧がなくなったりしても、士気が大きく下がることになります。
戦争をする指揮官は、この士気を常に意識しておかなければならないというです。
■逃げることは恥ではない
逃げることは恥ずかしいことだという認識が世間一般では常識のようですが、戦争時においては、逃げることは恥ではありません。
「三十六計逃げるにしかず」という言葉をご存知に方もいらっしゃるかと思います。
これは、兵法三十六計という兵法書があるのですが、この三十六計目が、走為上(そういじょう)という計略で、危なくなったら逃げた方が良いというものです。
戦争時に、戦況が不利になってきたら、一旦退いて、態勢を立て直してから再戦した方が、勝てる確率が上がります。
戦況が不利なまま戦い続けても、よほどのことがない限りは勢いを盛り返すことができず、被害が甚大なものになってしまいます。
戦術においては、逃げることは決して恥ずかしいことでなく、むしろいつでも退却を考えることができるような冷静な判断力が必要になります。
逃げることが恥という概念は、戦国時代の武士の心構えや、敵前逃亡を封じたものと思われます。
戦国時代の武士は、戦って死ぬことこそ本望であり、敵を目の前にして逃げることなど、武士の恥とされてきました。
これは、日本の武士の誇りと言っても良いでしょう。
また、部隊を指揮する武将にとっても、兵の敵前逃亡は、どうしても避けなければなりません。
そのため、逃げることは武士の恥だと教え、戦うことを強要したものと思われます。
確かに、兵の敵前逃亡は防がなければなりませんが、指揮官が冷静な判断をして、戦況が不利であれば、退くことが必要ということかと思います。
■風林火山
有名な武田信玄が掲げた風林火山ですが、これは孫子の兵法書から引用されたものです。
武田信玄は勉強熱心な人で、孫子の兵法書も読んでいました。
そのため、孫子の兵法書から風林火山という、戦いの旗を掲げて戦ったものと思われます。
風林火山は、ご存知の方も多いと思いますが、「疾きこと風の如く、静かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し」という言葉から取ったもので、兵を動かす時は風のように速く、兵を潜める時は林のように静かに、兵を侵掠させる時は火のように激しく、そして兵を動かさない時は、山のようにどっぷりと構えるという意味です。
この風林火山ですが、孫子の兵法書には、実は続きがあります。
本当は「風林火山陰雷」となっています。
陰の「知り難きこと陰の如く」と雷の「動くこと雷霆の如し」という部分があるのですが、こちらの軍の動きを知られないようにする時は陰のように、攻撃する際は雷のように虚を突き混乱させるという意味のようです。
武田信玄は、恐らく陰は林と似ていて、雷は火と似ているので、省略したものと思われます。
ただ、武田信玄の前に、南北朝時代の北畠顕家が最初に風林火山の旗を掲げており、武田信玄がそれを真似をしたという説もありますが、武田信玄が孫子の兵法書を読んでいたのは間違いないので、信玄は戦争に強かったのかと思います。
いずれにしましても、この孫子の兵法書の「風林火山陰雷」というのも、兵法の基本であり、知っておいて損はないと思います。