歴史の面白い謎11

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前回に続き、歴史の面白い謎を少しご紹介させていただこうと思います。

 

■桶狭間の戦いの真相

以前、このサイトで1560年の織田信長と今川義元の桶狭間の戦いが、本当にあったかを検証する記事を書きました。
その時は、桶狭間の戦いそのものがなく、織田家の使者が、今川義元を暗殺したのではないかという説を挙げました。

そちらを否定するわけではないですが、やはり資料が少なく、推測の域を超えません。
唯一とも言える資料が、太田牛一が記している信長公記です。

太田牛一という人物は、当時信長に仕え、信長を慕っていることで有名です。
信長公記は、信長の生涯を綴った記録で、かなり信憑性が高いと言われています。

ただ、必ずしも真実を全て書いているとは限らないとも考えられます。
信長を慕っているわけではない人物が、客観的に記録を書いているのであれば、信用性は高いですが、信長に仕え、さらに信長好きが残した記録となれば、贔屓目に書かれてしまうのも否めません。

なので、桶狭間の戦いに書かれていることも、真実なのかどうかは疑問だということです。
と言いますのも、信長公記に書かれている桶狭間の戦いは、かなり無理があるのです。

信長公記によると、山上に布陣した今川軍に対し、織田軍は山のふもとから攻めるという絶対的不利な状況で、さらに兵力も今川が大軍に対し、織田軍は寡兵となっており、どう頑張っても無理があるのです。
雨の中、奇襲を成功させたことになっていますが、今川義元という人物もバカではありません。

今川義元は、東海一の弓取りとも言われた人物ですし、兵法もきちんと学んでいて、かなり優秀な人物です。
この桶狭間の敗戦のせいで、頭の悪いイメージで表現されることが多く、誤解されていらっしゃる方も多いかと思います。

たとえ雨の中で奇襲があったとしても、態勢を整えて反撃するのは、今川義元ならできたはずです。
それにそんなに油断をする人物とも考えにくいのです。

前回の記事では、織田家の降伏を告げる使者が、今川義元を暗殺したのではないかという説を挙げましたが、こちらの可能性も高いかと思います。

もう一つの説としては、兵力差がそれほどではなかったのではないかというものがあります。
記録では、今川4万5千の兵に対し、織田が3千となっていますが、石高から兵士を計算すると、それほどの差があったわけではないのではないかというのです。

石高と兵士数は密接に関係しています。
石高というのは、米の生産量のことで、米を作る農民は、戦国時代では武士になることもありました。

そもそも、当時は戦争で活躍すれば土地を与えられることがあり、武士が農業をするのが普通です。
その流れで武士が農業をやり、逆に農民が土地を守るために戦ったりするため、農民と武士は似たような存在なのです。

今川義元が治める東海は山が多いため、平野が少なく、石高はそれほど高くありませんでした。
対して、織田信長が治める尾張周辺は平野が多く、面積は狭くとも石高が結構高かったようです。

そのため、石高から単純計算すると、今川1万5千に対し、織田1万くらいになるということです。
もちろん、織田家は内乱続きで、他家とも戦争していたため、兵力はもっと少なかったと思いますが、兵力差は10倍以上もあったわけではなく、2倍程度だったのではないかと考えられます。

もし、そのくらいの兵力差だったとすれば、桶狭間の戦いで織田家が勝つことは不可能ではなくなります。
ただ、そうなると逆に、信長公記の兵力の部分に、嘘があるのではないかとなってくるわけです。

いずれにしても、信長公記は信頼できる記録ではあるのですが、桶狭間の戦いについては、何か話を盛っていると言わざるを得ません。
信長公記に書いてあるから正しいのだとする専門家もいらっしゃいますが、そういった偏見は一度見直した方が良いと思います。

 

■本能寺の変がなかったら?

歴史に「もし」の話はタブーとされていますが、想像するのも楽しいので、あえて少し書かせていただこうと思います。
もし、明智光秀が乱心を起こさず、本能寺の変が起きなかったら、織田信長は天下統一できたのかという推測です。

多くの方が、できたはずと予測すると思いますが、私はできなかったと考えます。
規模や勢いだけを考えれば、確かに可能ではあるのですが、信長のやり方では、難しいのではないかと思うのです。

このサイトでも何度か書いておりますが、織田信長の性格は凶暴で、逆らったものは全て殺すという性格の持ち主です。
頭が良く、政治も斬新なことを行い、戦上手ということは認めますが、比叡山延暦寺の焼き討ちや、雑賀衆の皆殺しなど、民間人であろうとも容赦しませんでした。

このような性格だったため、一揆や謀反が相次ぎ、その中の一つである本能寺の変だけが成功したということです。
謀反を起こしたのは明智光秀だけでなく、松永久秀、荒木村重など、そうそうたる武将が信長の家臣でありながら、謀反を起こしています。

信長の家臣ですら反感を持つわけですから、他の大名たちが反発するのも当然のことです。
一時期は、信長包囲網という反信長同盟が、各地の大名同士で結ばれたことでも証明されていることであり、神仏を恐れない信長に対して、結束してこれを討つために組まれました。

まぁ、それは武田信玄の病死などで瓦解してしまいますが、信長に従いたくないという大名は少なくないということです。
もし、本能寺の変が起きなかったとしても、信長に従いたくないという大名がほとんどですので、全て戦争で滅ぼさなければならないということになります。

本能寺の変が起きた当時も、中国地方に毛利、四国に長宗我部、九州に島津、関東に北条、北越に上杉、東北に伊達などが健在であり、敵対関係となっている大名がほとんどです。
本能寺の変後、羽柴秀吉が信長を受け継ぎ、逆らったものは全て滅ぼすという信長のやり方から方向転換し、懐柔策に出たため、秀吉は天下統一することができたのです。

信長であれば、懐柔策を取りませんので、基本的に敵対した大名と全て戦わなければなりません。
それに加えて内乱鎮圧などを考慮すると、もう30年くらい必要となり、信長の生存中では無理だったのではないかと、私は考えます。

兵力を総動員すればできるのではないかというご意見もあると思いますが、このようなやり方では、次々に内部からも反発が出てきてしまうと考えられますし、戦が長引けば同盟を結んでいた北条なども敵に回る可能性は高いと思います。

ゲームなどでは、信長が天下統一するというのも難しくはないと思いますが、現実には信長の恐怖政治を否とする人が必ず出てくると考えられますので、そううまくはいかないと思います。

 

■大政奉還

話は幕末に飛びますが、大政奉還については少し謎があります。
なぜ、徳川慶喜は大政奉還したのかということです。

時勢の流れをくんでと言われればそれまでですが、やはり250年以上も続いた徳川幕府を自分の代で終わらせるという決心がついたのは、なぜなのかという疑問は生まれます。
もし徳川慶喜自身が頭の悪い人で、倒幕の志士たちを恐れるあまり、言うことを聞いてしまったというのであれば、分からなくはないですが、徳川慶喜は聡明で優秀な人物でした。

ただ、倒幕の声が高まり、このままでは戦争になるというのは、事実でした。
当時、坂本龍馬や西郷隆盛、木戸孝允など様々な思想を持った人たちが、倒幕という部分で結束し、幕府を倒す運動が行われていました。

その中でも、坂本龍馬が提案した大政奉還は、政権を幕府から天皇に返し、戦争を回避するというものでした。
坂本龍馬にとっても、戦争は避けたく、徳川慶喜がこれを受け入れるかどうかは賭けでした。

徳川慶喜自身は、聡明な人物であるがために、幕府の時代は終わりを告げ、さらに戦争を避けるために、大政奉還を受け入れたとされていますが、徳川慶喜は騙されたという説もあります。

徳川慶喜の側近に、倒幕の声を鎮めるため、一時的に天皇に政権を返し、倒幕の声が落ち着いたら、徳川に政権を戻すと言われ、その約束に乗ったというものです。
誰が騙したのかは定かではありませんが、これなら徳川慶喜が大政奉還を行ったのも、疑問はありません。

ただ、その後は徳川幕府に政権が戻ることはなく、それどころか新政府軍対旧幕府軍の戦争が結局起きてしまいます。
まぁ、この戦が起きてしまったのは、坂本龍馬が暗殺され、止めるものがいなくなったせいかもしれませんが、徳川慶喜は戦争に参加することなく、逃げ続けています。

戦争から逃げていたことから推測すると、やはり徳川慶喜は戦争を避けたかっただけなのかもしれません。
大政奉還が騙されたものなのか、徳川慶喜自身がそれを受け入れたのかは分かりませんが、国民を想い、戦争を避けるために大政奉還を行ったとすれば、徳川慶喜がいかに優しい人物であったかがうかがえます。

 



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