戦争を起こさないためには

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先日、イスラム国を名乗る過激派が日本人の人質を殺害する事件が起こりました。
政府ができることはなかったとは思いますが、各官僚の発言や政府の態度は適切と言えるものではありませんでした。
すぐさま戦争にはならないとは思いますが、日本にも戦争を意識させられる出来事になったかと思います。
戦争を起こさないために、どのようなことが必要なのかを考えてみたいと思います。

 

■懐柔策

話し合いで解決できるのであれば、それに越したことはありません。
懐柔策とは、話し合いで争いを収める策です。

先日のイスラム国人質事件でも、政府や官僚はテロ行為は絶対に許せないということを発言していましたが、なるべく無用な争いを避けるためにも
「穏便に交渉を進めたい。要求に応えるよう、最大限努力するので、人質を殺さないでほしい」
くらいの発言は、要求に応じる気はなくともしなければなりませんでした。

今回の事件は、要求の難易度が高すぎるので、イスラム国側は始めから人質を解放する気はなかったと思いますが、政府側が宣戦布告とも取れる発言をしてしまったことにより、テロ側の敵対心を煽ってしまったと言っても過言ではないでしょう。

戦争を起こさないためにも、懐柔策を忘れてはなりません。
どんな悪逆非道な組織であっても、交渉の選択の余地は潰さない方が良いかと思います。

ただ、どんなに口で話し合いをしても、どうにもならない人間がいるのも事実です。
イスラム国を名乗る過激派もそうですが、口で言っても悪逆非道な行為を止めないのであれば、武力を行使するしかありません。
日本は戦争を放棄しているため、手が出せませんので、他の国に頼ることになりますが、結局は軍事力がものを言います。

 

■犯罪と戦争

犯罪と戦争は似ています。
犯罪者が敵国、被害者が国民、警察が軍隊のように置き換えられます。

通り魔のような犯罪のように、敵国が容赦なく日本に攻めてくれば、日本も戦わなければなりません。
これは防犯と自衛に置き換えできるかと思います。

犯罪者がいなくならないように、戦争を行う者も決していなくなることはありません。
このサイトで何度も説明しているように、生物の絶滅回避の千差万別性があるため、いつでも悪人が生まれるようにできているのです。

人類が絶滅しない限り、犯罪も戦争もなくなることはないのです。
平和主義を訴えるなら、戦争への準備、すなわち防犯を意識することが必要なのです。

集団的自衛権に反発する人も多いですが、防犯に置き換えると、第三者の正当防衛になります。
通り魔のような犯罪者が、人を襲おうとする時、第三者が助けに入り、やむを得ず通り魔を殺してしまった場合は、第三者は正当防衛となり、罪には問われません。

同様に、集団的自衛権は同盟国を助けるための正当な自衛権です。
同盟国が滅んでしまったら、次は日本を攻められるという各個撃破作戦を防ぐためにも、集団的自衛権は絶対に必要なものです。
日本は戦争を放棄しているという意見もあるかと思いますが、アメリカと同盟を結んでいる以上、アメリカの敵国にとっては、アメリカの同盟国である日本も敵国となります。

もちろん、日本の平和が続いているのに、集団的自衛権の使い方を間違えて、戦争に巻き込まれてしまうという可能性も0ではありませんので、政府の正しい判断が必要です。
集団的自衛権に反対している人は、それを訴えているかと思いますし、ごもっともなご意見ですので、政府には慎重になっていただくしかありません。

ただ、集団的自衛権は必要なものですので、権利として行使できるようにしておき、政府を国民がしっかりと監視する必要があるのかと思います。

 

■軍事力は不可欠

戦争の抑止力にもなるのが、軍事力です。
日本にも自衛隊があるように、戦争を放棄していても、敵国から攻められても守れるようにするため、自衛隊は存在します。

もし憲法第9条に従って、戦争を完全に放棄し、軍事力を全く持っていなかったとしたら、敵国にいつ攻められて滅ぼされてしまうか分かりません。
日本が敵国に占領されてしまうと、その国に何をされるか分かりません。
日本人を奴隷のように扱うかもしれませんし、日本人を大量虐殺するかもしれません。

いくら日本が戦争を放棄していても、日本に恨みのある国もたくさんありますし、日本に軍事力がないからと言って許してくれるわけではありません。
自衛隊があるのは、これを防ぐためで、自衛隊の存在自体が戦争への抑止力にもなっているのです。

戦争を起こさないためには、軍事力が不可欠です。
軍事力があるせいで戦争が起こるのだという意見もあるかもしれませんが、軍事力がなければ敵国に滅ぼされるだけです。
犯罪に例えるなら、警察がいるから犯罪者が出てくると言っているのと同じです。
警察がいなくとも、犯罪者は容赦しません。逆にのびのびと犯罪に手を染めるだけです。

警察がいるし、捕まりたくないから犯罪を止めるのと同様に、敵国に軍事力があるから下手な戦争ができないということになります。
もちろん戦争の場合は、軍事力がないところに攻めてしまうと、周辺諸国の反感を買い、その国が攻められるということがあるので、一概に犯罪と全く同じとは言えませんが、軍事力が戦争への抑止力になってるのは間違いないかと思います。

また、現在も続いている戦争を止めるためにも、国際連合軍というものが必要なのかと私は思います。
主要な各国が少しずつ軍事力を提供し、各地域の戦争の火種となっている国や組織を共同で攻め滅ぼす軍隊です。

現在はアメリカが世界の警察のような働きをしていて、各国がバラバラにテロ組織に攻撃しているような状況です。
このような各国がバラバラで軍隊を動かしていても効率的とは言えません。
各国の協力態勢を構築するためにも、国際連合軍のようなものを発足させた方が良いように思えます。

当然、どの国のどんな人物が中心となるのかや、意見が分かれた場合の取り決めをどうするかなどの様々な問題をクリアする必要がありますが、そういった軍隊を作ることによって、戦争を鎮めたり、戦争への抑止力につながることになるかと思います。

 

■明治維新の意味

日本では、江戸時代末期に、平和と戦争の瀬戸際に、大変な苦労をした人物がたくさんいました。
坂本龍馬らの開国派は、外国の技術力の高さを知り、このまま江戸幕府の閉鎖的な考えが続くと、いつか日本が滅びると考えました。

彼らは、江戸幕府を排除し、天皇による政治に戻し、外国の文化や技術を取り入れ、明治維新を成功させました。
日本の技術力と軍事力が飛躍的に上がり、この技術力と軍事力のおかげで、日本はヨーロッパ諸国の植民地化を防げたと言えるでしょう。
その結果、技術力が取り残されてしまった清(当時の中国)やロシアと戦争をしても、勝つことができたのです。

ただ、坂本龍馬らは、戦争をしたかったわけではありません。
本来、外国の技術力を取り入れ、日本にも同等の軍事力を持たせることで、日本に攻めるのは困難であるということを示し、戦争を防ぎたかったのです。

しかし、皮肉にもその軍事力を持ったせいで、軍人が調子に乗ってしまい、戦争を始めることになってしまいました。
結果的に最後にアメリカと戦うことになり、負けてしまうのですが、これも負けたのがアメリカで良かったと私は思います。

もし、中国やソ連(ソビエト連邦。当時のロシア)に負けていたら、日本もどうなっていたか分かりません。
アメリカは、日本から武力と戦う気力を奪い、平和に導いてくれたと言って良いでしょう。

ちなみに、日本の義務教育は、戦争をするために始まっています。
日本で兵士を募集しても、算数もできない、方向の指示も理解できないようでは、近代化した兵器を扱えないため、たくさんの兵士候補を育てるために義務教育が開始されました。

それを知っていると、2014年にノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんの演説にあった、「教育が世界を変える」という発言は少し疑問が残ります。
戦争を起こさせないためには、教育も必要かもしれませんが、いかに人に戦争を起こす気をなくさせるかです。
教育が行き届いていても、軍事力もなく、戦って楽に勝てるような国であれば、戦争をしかけやすくなってしまいます。

 

■戦争への備え

坂本龍馬ら明治維新を起こした偉人たちの考えからも分かるように、戦争を防ぐには戦争への抑止力が必要です。
戦争の抑止力は、軍事力の他にも同盟国の存在や、自国の正当性(その国に攻めこむには大義名分が必要。それがなければ人々の反感を買う)というものもあります。

戦争を起こさないことが何よりですが、もし万が一戦争が起きてしまった場合は、すぐに負けてしまわないような備えも必要です。
当然それは軍事力ではあるのですが、沖縄の基地というのも備えとして重要な役割があります。

沖縄の基地問題は、このサイトでも一度取り上げましたが、もし戦争が起きてしまった場合、沖縄の基地が重要な拠点となります。
もし沖縄に基地が少なく、沖縄が占領されてしまうと、日本の敗北は目の前になってしまいます。
また、同盟国であるアメリカの軍事拠点としても必要不可欠です。

沖縄県民の方々の訴えも十分にお気持ちは分かりますが、戦争への備えのためには、残念ながら軍事基地の他県への移設は難しいかと思います。
沖縄県民の皆さまには、そういったことをご理解いただき、どうしても軍事基地の近くに住むのがイヤなら、自宅を引っ越すなどを検討していただいた方が良いかもしれません。

ただ、沖縄に基地は必要なのですが、今の政府の強制的な対応には私も反対です。
沖縄県民のことを無視して基地建設を強行するようなやり方では、国民の反感を買うのは必定でしょう。

また、戦争への備えに軍事力が必要と言っても、軍事力をつけすぎるのも良くありません。
皆さんもこれを懸念させていらっしゃるかと思いますが、軍事力をつけすぎると、暴走が起こりやすくなります。

どの国と戦っても負けないような軍事力を持ってしまうと、どうしても調子に乗ってしまいます。
人間は力を持つと、それを使いたくなってしまうものなのです。
明治維新後に軍人が暴走し、日中戦争や第二次世界大戦に参戦してしまったのがよい例でしょう。

軍事力が全く無いのも問題ですが、軍事力をつけすぎるのも問題なのです。
そのようなことにさせないためにも、我々がしっかりと政府の動向を監視し、是正していく必要があるのかと思います。

 
私も戦争への備えが必要だからと言って、戦争をしたいわけでは決してありません。
皆さまも平和を望んでいらっしゃるなら、戦争を起こさないために何が必要かや、戦争への抑止力などを考えていただきたいと思います。
真に平和を望んでいる人ほど、そういった具体的なことまで考えるものかと思います。

 



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