善悪の区別
本当の正義とは何かというのは、とても難しい問題です。
何か正しくて何が悪いのかは、人によって解釈が違いますし、状況によってはどの選択肢が最善かの意見が分かれることも多々あります。
今回は善悪について少し考えてみたいと思います。
■正義とは何か
「正義とは何か?」
と聞かれた時、あなたなら何と答えるでしょうか?
難しい問いですが、辞書には
「正しい道義。人が従うべき正しい道理」
とあります。
簡単に言えば、人として、道徳的に正しい行為をすることなのかと思います。
しかし、状況によってどの選択が正しいかは人によって分かれる場合もあります。
例えば、大切な人を殺した犯人を、復讐で殺すという行為は、正義でしょうか?
衰弱した猿に餌を与えて、猿が人間を襲うようになってしまったら、餌付けをしている人は正しい行為と言えるのでしょうか?
こういった問題は、人によって意見が分かれるかと思います。
状況によって、最善の解決法はあるかと思いますが、何が正義なのかと言われると難しい問題ではあります。
時として、悪いと思われる行動の方が、良い結果を生む場合もあるからです。
法は犯していないものの、他人に迷惑をかけたり、他人を罵ったりするような、人間として最低のクズがいたとします。
そういった人を、他人のために殺すという行為は、間違っていますでしょうか?
放っておけば、人に傷つけたり、殺したりしかねません。
しかし、現在の法律では、相手がどんな人間であろうと、正当防衛以外で殺してしまえば殺人罪になってしまいます。
確かにそれは間違いではないとは思いますが、そうであれば、犯罪者予備軍のような人たちをどうにかする法律も必要かと思います。
法を犯しそうな人間は、監視したり、隔離したりなどができる法律があれば良いかと思います。
法律で殺人を禁じられていない時代であれば、そのような最低な人間を殺すという行為は、正しい行為とは考えられないでしょうか?
他人に迷惑をかけ続けるクズのような人間を殺したことで、多くの人が助かると言うのであれば、殺した人が正義とも考えられます。
法律も人間が決めたものであり、必ずしも全てが正しいというわけではありません。
また、時代の流れを反映して、常に法律を改善していく必要もあります。
■正義に固執しないこと
正義に固執しすぎると、周囲が見えなくなる可能性があります。
過度に宗教を信じるような人が良い例かと思います。
宗教を批判するわけではないですが、神を信じることが正しいと固執しすぎてしまうと、周囲の冷ややかな反応も見えなくなり、周りの人たちも遠ざかってしまうでしょう。
宗教を信じること自体は良いですが、執着しすぎないように注意しましょう。
また、大切な人を殺された人が、復讐することが正義と勘違いをして、執拗に殺人犯を恨み続けるのも、それは正義とは言えないでしょう。
復讐心は悪の心を生み出します。
もちろん、被害者の遺族や恋人などが尋常ではない恨みを持つということは仕方ないことだとは思いますが、執拗な復讐心は悪人に導いてしまいます。
どうすれば良いかを冷静になって、よく周囲を見渡して、判断するようにしましょう。
戦争なども、自分たちこそ正義という固執した人たち同士が争いになります。
何が正しいか、自分たちは間違っていないかを、冷静に考えて行動していただきたいものです。
■時には悪に屈するのも必要?
良い結果を生むために、一時的に悪に屈する方が良い場合もあります。
例えば、凶悪犯に誰かが誘拐された場合、人質を助けるために、一度偽って凶悪犯の仲間になると言って近づき、内部から人質を助けて凶悪犯も捕まえるということができるのであれば、非常に良い手段かと思います。
知らない人から見ると、凶悪犯の仲間になるとは、なんてひどい人だと思うかもしれませんが、最も良い結果を生むのであれば、有効と言えます。
また、そういった凶悪犯を捕まえるために、ヤクザの力を借りたりするのも、有効と言えるでしょう。
悪を利用すると言ったほうが良いかもしれません。
必ずしも、正しいと思う手段だけを用いただけでは、解決できない場合もあるということです。
ドラマや映画などで、凶悪犯に囚われた時、頑なに要求を断るシーンがありますが、
「一度、仲間になるフリをすれば良いのに」
と思うことが多々あります。
囚われたままでは脱出が難しいですが、偽って投降して、自由の身になってから脱出を試みる方が良いのではないかということです。
よく、国のリーダーが
「テロリストには決して屈しないし、交渉もしない」
と言いますが、本当にそれが正しい行為でしょうか?
確かに、そう言った方が国民受けは良いかもしれませんが、テロリスト側としては、交渉の余地がないのであれば、攻撃するしかありません。
テロリストに屈する必要はないと思いますが、交渉の余地くらいは残した方が良いかと思います。
時には、テロリストの要求に耳を傾け、可能な範囲で対応するということも必要かもしれません。
テロリストと聞くだけで恐ろしいという存在かもしれませんが、完全に敵対してしまえば、攻撃される可能性が高くなります。
孫子の兵法書に「敵を知り己を知れば、百戦しても危うからず」という言葉もあるように、もっと敵の状況を把握して対処する必要があるのかと思います。
様々な状況がありますので、善悪について議論をすると、それこそ対立が起きてしまうくらいに難しい問題ではありますが、正義にとらわれすぎず、状況によって臨機応変に判断する心構えを身につけておくことが大切かと思います。