面白い歴史の謎3

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前回に引き続き、今回も戦国時代の面白い謎をご紹介したいと思います。

 

■明智光秀はなぜ謀反を起こしたのか

京都の本能寺で織田信長を明智光秀が討った本能寺の変は、歴史好きでなくとも知っている方も多いと思いますが、明智光秀はなぜ謀反を起こしたのでしょうか。

下克上の世とは言え、長く続いた戦国もようやく織田信長によって天下統一されて平和が近づいていたと言うのに、その目前で織田信長を殺してしまえば、さらに世の中が混乱し、平和が遠のくのは誰の目にも明らかです。

なぜ明智光秀が謀反を起こしたのかを知らない方も多いと思いますし、本当の真実は分かりませんが、いくつかの理由が考えられます。

まず、信長は残虐性が高く、民からも怖れられていました。
「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」
という句が残っている通り、信長は自分に対して逆らう者はほとんど殺してしまっていました。
また、降伏してきた者に対しても、許さずに切腹を命じる場合が多かったのです。

さらに、比叡山延暦寺の焼き討ちの時も、神仏を怖れもせず僧兵はおろか、女性や子どもまでも関わった者は容赦なく殺害します。
紀州の雑賀衆という人たちが、織田信長の専横に我慢できずに一揆を起こした時も、雑賀にいる兵や民衆をも全滅させてしまいます。
信長のやり方に不満を持ち、謀反を起こした大名は多くいましたが、いずれも失敗しています。

これでは、織田信長が天下統一を果たしても、平和になるとは思えません。
明智光秀もこれを危惧した可能性は高いでしょう。

現代では、信長のファンも多いようで、確かに信長は頭が良く、戦術性にも優れ、いち早く鉄砲の威力に気づいて導入したり、楽市楽座を行うなど、他の大名にはない魅力があります。
しかし、調べれば調べるほど、信長が残虐であることが分かりますので、信長のファンという人はあまり詳しくは知らないのでしょう。

謀反の他の理由として、信長は明智光秀を軽視していたことが挙げられます。
明智光秀が苦労して功を上げた時も、信長は褒めもせず、信長自信の威光があったからだと、家臣たちの目の前で侮辱したこともあります。
明智光秀は優秀な人物でしたので、信長が光秀の力を怖れていたのかもしれません。
または、まじめな光秀の性格があまり好きではなかったというのもあったのかもしれません。

いずれにせよ、そういった理由から光秀は、織田家に居場所がないと思ったのでしょう。

これらの理由から追い詰められた明智光秀は、信長が本能寺に少数の兵のみで宿泊しているという絶好の機会に恵まれたということもあり、謀反を起こしたと考えられます。

 

■秀吉は織田家に忠実だったのか

豊臣秀吉と言えば、織田信長の忠実な家臣だったとして有名ですが、果たして本当に秀吉は織田家に忠実だったのでしょうか。

と言うのも、秀吉もまぎれもない謀反人なのです。

明智光秀が本能寺の変を起こし、その光秀を討ったのが秀吉であるのは間違いないのですが、この時、織田信長の次男も三男も生きていました。
まず、信長の長男の信忠は、本能寺の変の時に明智光秀軍に殺されています。
しかし、次男の信雄は、畠山家に養子に出ていましたが、本能寺の変後、織田家に戻って家督を継ぐことは可能です。
また、三男の信孝も、神戸家の養子になっていますが、同様に織田家に戻ることができます。
この状況で、秀吉は長男信忠の嫡子、三法師を正当な後継者とします。
この三法師は、まだ当時は3歳で幼く、傀儡(かいらい)つまり操り人形として秀吉が実権を握ることを意味します。

当然、柴田勝家などの織田家の他の重臣たちは、次男の信雄を正当な後継者として反論しますが、明智光秀を討った秀吉に説き伏せられてしまいます。
その後、秀吉は柴田勝家や織田信雄、信孝らと戦になりますが、結局秀吉が勝利し、最終的に天下統一することになります。

しかし、この行為は明らかに織田家に対する謀反となります。
秀吉が織田家に本当に忠実であったなら、次男の信雄を当主として、織田家の家臣と戦をすることはなかったはずです。

秀吉は、明智光秀の謀反を利用し、自分の謀反を正当化したと言えるでしょう。

 

■なぜ直江兼続は徳川家康を挑発したのか

直江兼続は、上杉景勝の軍師で、とても頭の良い人でした。
その直江兼続は、秀吉の死後、徳川家康を挑発して戦いになりますが、なぜそのような無謀とも思えることをしたのでしょうか。

秀吉の死後、徳川家康の権力が高まり、豊臣家をないがしろにするような行為や、家康の意のままに豊臣家臣に命令するなどの行動が増えました。
そんな時に、家康は上杉景勝が戦の準備をしているという報を受け、景勝に理由を問いただし、上京して説明を求める文が送られます。

これに対して直江兼続が家康に送ったのが、「直江状」と呼ばれるものです。
それには、上杉家が越後から会津に移封となったばかりで、築城や軍の整備をするのは当然のことであることや、秀吉死後の家康の振る舞いが横暴であり、豊臣家に対する謀反であるというような内容が書かれていたのです。

激怒した家康は、上杉を謀反人とみなし、上杉討伐のために挙兵するわけですが、これは直江兼続の予想通りでした。
上杉討伐の兵を挙げた直後に、石田三成が徳川討伐の兵を挙げたのは、ほぼ直江兼続の計算通りでしょう。

直江兼続と石田三成は、なにか口裏を合わせて同時に兵を挙げたわけではありません。
上杉と徳川が戦いになれば、豊臣家に恩がある者や反徳川派のものが、当然挙兵するはずであることは、直江兼続には分かっていたのです。

そうなれば、家康は各地の反徳川軍と戦わなければならなくなるわけですが、隙を見て上杉軍が関東に乱入し、本拠地の江戸を攻め取れば、十分に勝機がありました。

しかし、直江兼続の唯一の誤算は、西軍総大将の石田三成が戦について無能すぎたことでしょう。
わずか一日にして関ヶ原で東軍が西軍を破り、勝利してしまったのです。

直江兼続は、この戦いは長期戦になると予想し、そうなれば続々と反徳川が挙兵し、関東に攻め入る隙ができるはずと読んでいたのですが、まさか一日で決着が着くとは思いもしなかったのです。
これは、真田昌幸にとっても同様に計算外で、真田家も西軍として、長期戦を予想し、隙を見て関東に乱入するつもりだったのです。

石田三成は、元々文官で、主に政治を行う人であり、財政面で秀吉や他の大名を支えていました。
戦に関しては、経験はあったにしても、素人同然のレベルだったのです。

さらに人心掌握術もあまり得意ではなく、三成を嫌う武将は多かったのです。
そこへ徳川家康がつけこみ、どんどん西軍の大名や武将を取り込み、結果的に東軍が勝つことになるのです。

結果論として、家康に対する直江兼続の挑発は無謀に見えますが、当時の直江兼続としては、十分に勝機があったことなのです。
石田三成がもう少し有能であるか、あるいは別の武将が総大将になっていれば結果は変わっていたかもしれませんが、そういった理由で敗北してしまったのです。

 

■徳川家康の毒殺

歴史を勉強していると、徳川家康の巧みな戦術もうかがい知ることができます。
家康は、敵の無能な武将を生かしておき、有能な敵は排除する方法を取っていたようです。

排除する方法は様々ですが、敵の上司からの信頼を落として失脚させたり、時には毒殺を行うこともあったようです。
明確に毒殺をしたという証拠はないのですが、家康にとって邪魔な存在が、あまりにタイミングの良い時に死んでいる武将が多いのは事実です。

例えば、前田利家や加藤清正、小早川秀秋などがそうです。
詳しくは歴史の背景などを調べていただければと思いますが、家康にとって邪魔な存在であろう人物が、タイミングの良い時に病死しているのは、毒殺の可能性があります。

毒殺と言っても、大名クラスになると毒見をする人がいますし、食後すぐに死んでしまうと、すぐに毒殺と分かってしまいます。
しかし、料理の得意な忍びが、あらかじめ料理人として大名に仕え、長い年月を経て信頼を勝ち取った後、命令を受けた忍びの料理人が、少しずつ毒を盛るという方法があったようです。
この方法なら、毒見がいてもすぐに症状がでないので気づかれませんし、徐々に体調を壊して最後に死ぬので、一見毒殺には見えないのです。

本当にそういった手法を行なっていたかは謎ですが、家康は伊賀の忍びを重用していましたし、可能性としては高いと考えられます。

織田信長は逆らった者はすぐに殺したり、豊臣秀吉も気に入らない者は切腹を命じたりすることはありましたが、辛抱強いイメージの家康がこういったことを行なっていたというのが事実であれば、家康に対するイメージも変えなくてはいけないのかもしれません。

 
歴史の謎は面白く、真実が分からないものも多いですが、調べれば調べるほど、当時の人たちの考えや気持ちが分かり、勉強にもなります。
機会があれば、歴史小説などをお読みいただければと思います。

 



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