歴史の計略に学ぶ

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戦いの歴史の中で知恵が非常に重要であるということは、このサイトで述べてきましたが、ここでは私が驚くほど賢いと思った計略を少しご紹介しようと思います。
主に中国史ですが、やはり中国の戦略家たちの方が日本よりも優れていると言わざるを得ないでしょう。
ただ、小説などの逸話も混じっているため、全てが実際に行われたわけではありませんが、それでも計略として素晴らしいので、何かの参考になれば幸いです。

 

■背水の陣

秦帝国の末期、項羽と劉邦が覇権をかけて争っていた頃の話ですが、劉邦の部下に韓信という将軍がいました。
当時は、まだ韓信がそれほど有名でなかった頃、韓信は趙国の本城を攻めることになりました。

韓信の軍は3万ほどに対し、趙軍は30万とも言われています。
本城を守るのは陳余という将軍でした。

兵法の常識から考えて、城を攻め取るには、籠城する兵の二倍の兵力は最低必要なのが普通ですが、城攻めの韓信軍は敵の1/10でした。
どう考えても勝ち目はありません。

そこで韓信は兵を二分し、別働隊には気付かれないように城に回りこませ、本隊は川を渡って背水の陣をわざと敷いたのです。
川を背に陣を敷く様子を見た陳余は、
「韓信という将軍は兵法を何も知らない」
と言い、全兵力を率いて一気に韓信軍を殲滅しようとしました。
陳余は、川を背に陣を敷けば、兵は逃げ道を失うので、容易に敵を全滅させることができると考えたようです。

しかし、実際のところ逃げ道を失った兵は、戦うしかありませんので、韓信軍は大軍を相手に奮戦します。
なかなか殲滅できず、戦いが長引くことを嫌った陳余は、一時撤退を命じて城へ帰還しますが、本城は既に韓信の別働隊の手に落ちていました。

驚く陳余軍でしたが、時すでに遅しでした。
城から打って出た韓信軍と本隊が陳余軍を挟撃し、韓信軍は大勝利を収めました。

この背水の陣は、敵をおびき寄せると同時に、兵を死地に追い込み、真の力を引き出すという二重の意味がありました。
現在では、追い詰められた時に「背水の陣を敷いてがんばります」という使い回しをよく聞きますが、実際は前向きな計略だったのです。

 

■10万本の矢

三国志の赤壁の戦いの頃の話です。
強国となった魏の曹操軍に対抗するため、呉の孫権は劉備と同盟を結びました。
劉備の軍師として派遣されたのが、諸葛亮という天才軍師でした。

呉の軍師である周瑜は兵権を預かり、曹操軍と長江を挟んで対峙します。
曹操軍80万に対し、孫権・劉備連合軍は5万と言われています。

この時、周瑜は諸葛亮の才能に気づき、諸葛亮を生かしておいては後の呉の災いとなると考え、今のうちに諸葛亮を殺そうと考えました。
そこで、無理難題を命じ、できなければ処刑することを画策します。
命じたのが、
「10日以内に矢を10万本作ってほしい」
ということでした。
10日以内に10万本もの矢を作ることは、よほどの人手がなければまず不可能と言えます。

これに対し、諸葛亮は、
「3日もあれば十分です」
と応えました。
この応えに、周瑜は諸葛亮を軍令違反で確実に殺せると思い、喜びました。

諸葛亮は呉の兵を借りて、矢を作らせるのではなく、藁人形を作らせました。
そして、3日目の濃霧の明け方、呉から数隻の船を借りて藁人形を乗せて対岸へ向かいます。

対岸には曹操軍が陣を敷いており、向かってくる船が呉のものと分かると、敵襲だと思い、矢を放ちました。
船は矢の届く場所で留まり、矢を受け続けます。

曹操軍にとっては、霧のせいで敵襲なのか、計略なのかも分からないため、とにかく弓矢で牽制しました。
船が矢でいっぱいになったところで、諸葛亮は船を撤退させました。

戻った頃には船や藁人形は、矢で覆いつくされ、全てを数えると10万本を超えていました。
これを周瑜に献上したのです。

諸葛亮は地理や気候にも通じていたので、3日後に濃霧になることを知っていました。
そのため、期限を3日に縮めたのです。

敵の武器を奪い、敵軍を弱めて、かつ味方の武器を得て兵を強め、軍令を守って自分の身を守るということを同時にやってのけた策です。
私はこの話を読んだ時、心から感嘆しました。

 

■劉備の婚姻

赤壁の戦いの後の話です。
呉の軍師の周瑜は、劉備に奪われた荊州をどうにかして取り返そうと策を練りました。

そこで周瑜は、呉の孫権の妹を劉備に嫁がせることを名目に、劉備を呉におびき寄せて捕え、人質にとって荊州の返還を要求しようとしました。
これを使者から聞いた劉備の軍師の諸葛亮は、婚姻を受けるように言います。
劉備は不安でしたが、諸葛亮軍師の言うことに従い、呉に赴くことにしました。

呉に出発する際に、諸葛亮は劉備の護衛の趙雲に、策を書いた包を渡し、困ったら順番に開くようにと言いつけます。
呉に着くとすぐにそれは訪れました。

新しい婿が来たのに、民衆は誰も歓迎しませんでした。
婚姻は劉備をおびき寄せる口実なので、民衆は誰もそのことを知らなかったのです。
そこで、趙雲が一つ目の策の包を開くと、派手に婚姻を民衆に知らしめるように、工作方法が書いてありました。
それに従い、楽器隊で祝福ムードを演出し、孫権の妹が劉備と婚姻するということを民衆に触れ回りました。

これにより、すぐに孫権の母の呉国太に知られます。
呉国太は、この話を知らなかったので、孫権をキツく叱り、劉備に会うと言います。

こうなると、劉備を捕えて人質にすることが困難になりました。
困った孫権が周瑜に相談すると、本当に婚姻させてしまい、劉備を呉に留まらせ、豪華な食事や酒で誘惑して荊州に帰らせないようにしようと策の方針を変えました。

劉備に会った呉国太と孫権の妹は、劉備を気に入り、本当に婚姻します。
そして、周瑜の思惑通り、劉備は居心地の良い呉に長居してしまいます。

困った趙雲が二つ目の策の包を開くと、劉備を荊州へ帰還させる方法が書いてありました。
趙雲は早速、曹操軍が荊州に攻めてきたと嘘をつき、劉備は呉を離れることを決断します。

劉備と離れることを嫌った孫夫人は、劉備についていくことにしました。
劉備たちは密かに呉を脱出しますが、それを知った周瑜が慌てて兵に追わせました。

追いつかれそうになった趙雲は、最後の策の包を開きます。
それには、一緒にいる孫夫人に説得させよと書いてありました。

孫夫人は男勝りな性格で、追ってきた兵の将軍に、
「孫家の妹に刃を向けるとは、呉に対して謀反を起こす気か」
と一喝し、退却させました。
これにより、無事に劉備は荊州に帰還しました。

もちろん全てが本当ではないと思いますが、諸葛亮が先の先まで読み、周瑜の性格と策を読んで逆手に取り、さらには孫権の妹の行動を読んで、趙雲に策を授けた上に、呉との同盟を強固とし、主君をも助けるという見事な計略です。

 

■空城の計

同じく三国志時代、蜀の諸葛亮が魏の軍師の司馬懿と戦っていた頃の話です。
蜀の将軍が大敗を喫し、諸葛亮が全軍退却を開始した頃、諸葛亮は補給拠点にいました。
ここの兵はわずかでしたが、魏の司馬懿が10万もの大軍を率いてこの補給拠点に進軍していました。
物資を持って逃げようとすれば、追いつかれてしまいますし、物資を捨てて逃げれば、貴重な物資が全て敵に奪われてしまうという状況でした。

しかし、諸葛亮は慌てずに城の門を全て開け放つように命じます。
部下たちはかなり動揺し、諸葛亮に逃げるように懇願しますが、諸葛亮は平然と、今後逃げろと口にした者は斬ると言い放ちました。

司馬懿が到着した頃、諸葛亮は城の二階で悠然と琴を弾いていました。
開け放たれた城門に、兵の見えない城、そして琴を弾く諸葛亮を見た司馬懿は、撤退を命じます。
司馬懿は、諸葛亮は慎重な性格で、これまで無茶な戦術を用いたことはないから、必ず城の中に伏兵がいるに違いないと思い込んだのです。

この時は伏兵はなかったのですが、諸葛亮は司馬懿が頭の良い人で、自分が無茶なことをすると思っていないから、必ず撤退すると読んだのです。
これまで培ってきた自分の実績と性格、そして司馬懿の性格や思考を読んだ上での策です。

 
諸葛亮という人物は、敵国の軍師の考えを読むことに長け、天文、地理、歴史、政治などのあらゆる学問に通じており、本当に頭の良い人でした。
諸葛亮を得ても、劉備が天下を統一できなかったのは、劉備の性格が災いしたと言えるでしょう。
劉備は、常に民のことを考え、領地を譲られても固辞し、義兄弟の仇討ちのために同盟すべき国に兵を挙げたりと、仁義を貫く人だったため、天下統一を困難なものにしました。
諸葛亮もそういった劉備の性格に惹かれて軍師に就くことを決めたのですが、結果的に三国鼎立の時代が長引いてしまいました。
しかし、そこが三国志の魅力でもあります。

 
今回は私が感心した計略をご紹介しましたが、もちろんまだまだ素晴らしい計略はあります。
機会があればまたご紹介しますが、もし興味があれば、ご自分でも調べてみることをオススメします。

 



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