背水の陣は前向きな策だった?

0 Comments


※この記事は過去の記事からの再掲載となります。

 

■背水の陣

秦帝国の末期、項羽と劉邦が覇権をかけて争っていた頃の話ですが、劉邦の部下に韓信という将軍がいました。
当時は、まだ韓信がそれほど有名でなかった頃、韓信は趙国の本城を攻めることになりました。

韓信の軍は3万ほどに対し、趙軍は30万とも言われています。
本城を守るのは陳余という将軍でした。

兵法の常識から考えて、城を攻め取るには、籠城する兵の二倍の兵力は最低必要なのが普通ですが、城攻めの韓信軍は敵の1/10でした。
どう考えても勝ち目はありません。

そこで韓信は兵を二分し、別働隊には気付かれないように城に回りこませ、本隊は川を渡って背水の陣をわざと敷いたのです。
川を背に陣を敷く様子を見た陳余は、
「韓信という将軍は兵法を何も知らない」
と言い、全兵力を率いて一気に韓信軍を殲滅しようとしました。
陳余は、川を背に陣を敷けば、兵は逃げ道を失うので、容易に敵を全滅させることができると考えたようです。

しかし、実際のところ逃げ道を失った兵は、戦うしかありませんので、韓信軍は大軍を相手に奮戦します。
なかなか殲滅できず、戦いが長引くことを嫌った陳余は、一時撤退を命じて城へ帰還しますが、本城は既に韓信の別働隊の手に落ちていました。

驚く陳余軍でしたが、時すでに遅しでした。
城から打って出た韓信軍と本隊が陳余軍を挟撃し、韓信軍は大勝利を収めました。

この背水の陣は、敵をおびき寄せると同時に、兵を死地に追い込み、真の力を引き出すという二重の意味がありました。
現在では、追い詰められた時に「背水の陣を敷いてがんばります」という使い回しをよく聞きますが、実際は前向きな計略だったのです。

 



関連記事

このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを投稿する

メールアドレスが公開されることはありません。メールアドレスを入力すると、返信があった時に通知されます。
※が付いている欄は必須項目です。

※コメント送信前に以下をご確認ください。

コメントは承認制になっております。
どんどんお気軽にコメントを投稿していただいても構いませんが、記事の内容と関係ないものは掲載されませんので、ご注意ください。
逆に、記事の内容に沿っていれば、どんな批判的なコメントでも受け入れさせていただきます。

私自身、未熟なことは重々承知しておりますので、批判的なご意見を書き込んでいただくのは大いに結構なのですが、どこをどう改善すれば良いか分からないコメントも多いため、できましたらどの部分がどういった理由でダメなのかや、改善策も述べていただけますと幸いです。