信長の鉄砲三段撃ちは画期的?

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※この記事は過去の記事からの再掲載となります。

 

■鉄砲の三段撃ちは画期的だったのか

長篠の戦いの時、織田信長が鉄砲の三段撃ちで武田の騎馬隊を散々に打ち破ったという話はあまりに有名かと思います。
鉄砲の三段撃ちというのは、鉄砲隊を三つの隊に分けて、一つの隊が一斉に鉄砲を打ったら、弾込めの間に次の隊が一斉射撃を行い、これを繰り返すというものです。

当時の火縄銃は、一度鉄砲を撃つと、筒内の掃除や火薬を詰めたりと、準備に時間がかかりました。
どんなに早くても5分くらいかかったのではないかとのことです。
その間に敵が接近してしまい、鉄砲隊が壊滅させられるというのを避けるため、隊を三つに分けて順番に撃たせたというわけです。

あたかも長篠の戦いで、信長が使った画期的な戦術ということになっていますが、実際はそのようなことは誰でも考えつき、長篠の戦いの前にもその戦術を使った大名もいるそうです。
ただ、長篠の戦いでは信長は3000丁もの鉄砲を使ったというのが、驚異的な数字だったことは確かです。
少しサバを読んでいるかもしれませんが、堺の商人を味方につけた信長であればこそ可能な数なのです。

つまり、四段撃ちでも五段撃ちでも、長篠の戦いの前から鉄砲隊を複数に分けて順番に撃たせる戦術はあったのですが、鉄砲の数が少ないのであまり強調されていなかっただけで、長篠の戦いで信長が鉄砲隊の威力を本格的に見せつけたということだったのです。
 



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