浅井長政は裏切り者なのか
■浅井長政は裏切り者なのか
浅井長政と言えば、織田信長の妹、お市の方を継室として貰い受け、織田家と同盟を結んだ大名として有名ですが、その後、浅井長政は織田信長を裏切り、織田軍を攻撃したとされています。
しかし、浅井長政は本当に裏切り者なのでしょうか?
経緯としては、織田信長が足利義昭将軍を奉じて上洛したところまで遡ります。
既に権力を失った室町幕府の足利将軍ではありますが、織田信長は大義名分を得るためと、その権力を利用するために足利義昭将軍を手助けしました。
織田信長が圧倒的な兵力で、京で権力を振るっていた勢力を一掃し、足利義昭は征夷大将軍としての職務に復帰することができます。
義昭は信長にとても感謝しますが、その後、信長はその権力を利用し、周辺諸国の大名たちに上洛せよと要請します。これは事実上、信長への臣従を意味するものです。
朝倉義景もその要請を受け取った大名の一人でしたが、これを良しとしない朝倉義景は信長の要請を拒否します。
怒った信長は、朝倉家討伐の兵を起こします。
が、実はこれが浅井家に対する信長の裏切り行為だったのです。
朝倉家と浅井家は、百年以上もの同盟関係にあり、浅井長政が織田信長と同盟した時も、織田信長は朝倉への不戦の誓いを結んでいます。
浅井長政が、織田軍を攻撃したのは、信長を裏切ったと言うより、朝倉家を救うためだったと考えられます。
浅井長政は、お市のことがあるので、朝倉家と織田家のどちらを取るかを大変苦しんだと考えられますが、やはり百年の盟友を裏切ることはできなかったのでしょう。
お市も理解を示し、織田家には戻らず、浅井長政と共に死ぬつもりでしたが、秀吉に救出されています。
つまり、裏切り者は、朝倉への不戦の誓いを破った信長の方であり、浅井長政は裏切り者ではないことが分かります。