犯罪者が100%悪いのか4

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なぜ犯罪者がいなくならないのかや、犯罪を未然に防ぐ方法などを前回まで書いてきましたが、今回は犯罪者の心理や、裁判などについて考察してみたいと思います。

 

■犯罪者の心理

犯罪者の気持ちなど考えたくもないという方も多いとは思いますが、犯罪者の心理を考えるのは重要なことです。

犯罪者の心理が分かれば、犯罪を防ぐことや逃れることができる可能性も高まります。
警察関係者の場合は、犯罪者の心理を知ることで、犯人逮捕に役立つこともあります。

犯罪者の気持ちを知るには、ニュースなどをよく見て、この犯罪者はどういう気持ちでこの犯行を行ったのだろうと想像してみることです。
逮捕後に動機などを供述し、ニュースで流れることもありますが、事件ごとに犯罪者の気持ちを考えてみることで、犯罪者の気持ちを読めるようになってくるかもしれません。

無差別殺人など、愉快犯である場合や、何らかの快楽を求めて行う犯罪もありますので、こういったものはあまり考える余地はありませんが、大抵の犯罪は何らかの理由がある場合が多いです。
怨恨による殺人は、加害者がどういう気持ちだったのかを考えると、被害者の方に非があることも少なくありません。

悪質な事件であっても、加害者側の立場に立って考えてみると、その理由が見えてくる場合もあります。
こういった想像を繰り返すことで、犯罪心理に近づくことができ、身近でいらぬ加害者を作り出すことを防ぐことができるかもしれません。

犯罪者の気持ちなど考えたくもないという方も多いかもしれませんが、犯罪者の視点で見ることで、見えないものが見えてくることもあり、それによって犯罪に巻き込まれる可能性が減る可能性がありますので、普段のニュースをよく見るようにして、犯罪者の心理を考えてみるようにしましょう。

 

■冤罪と刑罰

冤罪(えんざい)というのは、行っていない罪を着せられてしまうことです。

冤罪のついての議論は難しいのですが、冤罪と刑罰については、別の議論にすべきかと思います。
つまり、冤罪の可能性があるから、死刑制度は止めるべきというのは、少し違うのではないかと私は思います。

確かに、冤罪の場合、行っていない犯罪で死刑にされてしまったら、それは悲劇以外のなにものでもないでしょう。
しかし、冤罪の可能性があるから死刑はダメというのは、少し論点がズレているように思うのです。

冤罪を防ぐには、警察の捜査と、裁判の正確さを追求していく必要があり、真偽を正しく判定するということが必要になります。
ただ、被告人を有罪とするからには、刑罰は被告人を犯罪者と断定して決める必要があり、冤罪の可能性があるからと、減刑すべきではないと思います。

つまり、冤罪かどうかの議論と、刑罰の重さは別々に考える必要があるのではないかということです。
冤罪を防ぐには、先ほど述べたように、警察と裁判員にがんばっていただき、真実をはっきりさせてもらうしかありません。

刑罰の重さについては、冤罪を考慮すべきではなく、被告人に有罪判決が下されれば、犯罪者として厳密に扱わなければならないと思うのです。

冤罪を0にすることは難しいとは思いますが、だからと言って刑罰を軽くすべきというのは違うかと思いますが、これについては議論の余地がまだあると思いますので、よろしければ、皆さんのご意見もお伺いできればと思います。

 

■裁判は公平に見るべき

犯罪の裁判では公平さも必要です。
公平さを重視するのは当たり前のことではあるのですが、近年は被害者側にばかり目を向けられていて、加害者に容赦しないという裁判が多いように見受けられます。

弱者に寄り添うということは良いことです。
が、近年は裁判ですら弱者に寄り添いすぎているような傾向があるように思えてなりません。

先日の東名高速道路のあおり運転事故についても、以前書いたように、横浜地裁ですら被害者側の立場に立ちすぎていて、加害者は完全に悪人扱いでしたが、もっと公平に見るべきではないかと私は思いました。

殺人などの事件も、世間では加害者を容赦しないという傾向にあり、加害者の言い分など聞かないという人も多いように思えます。
しかし、よくよく調べてみれば、加害者側にもそれなりの理由があったり、やむを得なかったということもなくはないのです。

もちろん、いかなる理由であったとしても、殺人など犯罪を行ってはならないのですが、加害者の言い分くらいは聞いてあげる必要はあるのかと思います。
先ほど書いたように、犯罪者の心理を知ることは、次の犯罪を防ぐことにも繋がりますので、聞く耳を持たないという考えは止めた方が良いでしょう。

裁判では、当然加害者側の言い分も聞きますが、近年は裁判員裁判のせいで、被害者側の気持ちしか考えないような傾向にあるように思えます。
加害者を完全に悪人と思い込んでしまうと、加害者がどんなに口述しても、聞く耳を持ってもらえないことが多いのです。

弱きを助け強きをくじくという考えは、良い心がけではあるのですが、裁判ではあくまで公平に判断すべきです。
加害者を完全に悪人と決めつけるのではなく、偏見をなくし、公平な目で見て判断する必要があります。

裁判員でなくとも、世の中の風潮としてその声が広まると、裁判にも影響を与えることがありますので、関係ない人であっても、それぞれが公平な視点を持つということは必要なことかと私は思います。

 

■寛容が幸せをもたらす

寛容さというのは、要するに心が広いということですが、寛容さを身につけることで、自分の心にも余裕を持つことができます。
犯罪は許すべきではありませんが、加害者の立場に立ち、その人の気持ちを考え、公平な目で見ることで、見えない部分が見えてきます。

その上で、加害者を許すという寛容さを持つことも時には必要かと思います。
もちろん、全ての犯罪者を許せということではありません。

凶悪犯罪者や、どう考えても理不尽な理由で犯罪を行っている人には容赦する必要はありません。
しかし、大抵の犯罪は理由があるものです。

寛容さを持ち、その人を許すということができれば、自分の心にも余裕ができ、その後の自分の人生に幸せをもたらすこともあるはずです。
これは犯罪者への寛容に限ったことではありません。

知人のちょっとしたミスや、世間の批判的な意見を受けた場合など、すぐに怒るのではなく、寛容さというものを意識してみると良いと思います。
怒ってしまうと、感情的になってしまい、冷静な判断力を失ってしまうこともあるのですが、寛容さを意識して心に余裕を持たせると、冷静に判断することができ、誰が本当に悪いのかや、どういった原因でこうなったのかなどが分かることがあり、それによって問題が解決するかもしれません。

こういった寛容さが、結果的に自分に幸せをもたらせてくれる場合があるということです。
そんなに簡単な話ではないかもしれませんが、少しずつ実践してみることで、徐々に効果が現れるかもしれませんので、寛容さを身につけることを意識してみると良いでしょう。

 



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