戦国時代の背景
日本の歴史の中でも戦国時代は非常に面白い時代です。
その時代の背景を知ることで、当時の人たちの苦労も分かると思いますので、少しご紹介できればと思います。
■戦国大名の多くは天下統一を狙っていたわけではない
よくドラマやゲームなどで見られる、織田信長や徳川家康が活躍した頃の話は、戦国時代の中でもかなり後半の時期で、前半の部分はあまり知られていません。
しかし、この前半の頃の話もかなり重要であり、その辺りの話を知ることで、もっと戦国時代を楽しめるようになるかと思います。
本格的に武家政権が始まったのは、源頼朝が開いた鎌倉幕府の時期からで、武家が政治をやるようになってからは、ずっと平和が続くということはなく、戦が度々起こってしまう世の中になります。
足利尊氏が開いた室町時代も、各国の後継者問題や日頃からの確執などから戦が絶えることはありませんでした。
京都の応仁の乱から戦国時代という区切りなのは間違いないと思いますが、その前から戦はかなり続いていたのです。
応仁の乱も1467年の出来事ですので、江戸幕府が開かれる1603年からかなり前の話になります。
よく各国の戦国時代の大名は、天下統一を狙っていたというような表現を聞きますが、天下統一を狙っていた戦国大名はごくわずかで、ほとんどの大名が天下統一を狙っていたわけではないのです。
では、そういった大名の目的は何かと言うと、基本的には鎌倉時代や室町時代から続いていた戦の続きをしていたのです。
それは後継者問題であったり、恨みによる戦であったり、領地の奪い合いでもあります。
大名によって理由は異なりますが、もちろん守護大名だけではなく、家臣や足利将軍の家系なども戦の中心であったりします。
ほとんどの武将が、家族の生き残りをかけて戦っていたのであり、天下統一をしようとなどとは思っていないのです。
天下統一をするということになれば、当然いろいろと面倒なことを処理しなければならなくなります。
様々な大名家との親密度を高めなければなりませんし、家臣への恩賞や同盟国への配慮も必要です。
戦ともなれば、軍備や兵糧、兵の動員など、様々な面で苦労します。
自国が大きくなればなるほど、その処理する量も膨大となり、並大抵の武将ではこなせるものではありません。
ですので、ごく一部の有能な武将が天下統一を夢見るものの、ほとんどの戦国大名は、家系存続のみを中心に考えていたことは間違いなく、戦を嫌う大名も多かったのです。
ただ、鎌倉時代から続く因縁は、なかなか取り除けるものではなく、誰かが天下統一をしなければ戦は収まらないという状況だったのです。
■戦国時代の身分制度
戦国時代の頃は、身分というのは非常に重要なものでした。
自分の身分より、相手の身分の方が高ければ、逆らってはならないという決まりがあり、逆らえば斬首されても文句を言えないくらい、厳しいものだったのです。
士農工商という言葉がある通り、武士、農民、職人、商人の順に身分が高く、さらに武士の中にも階級があります。
大名、家老、部将、侍大将、足軽大将、足軽組頭、足軽の順で身分が高いのですが、これは国によって微妙に異なるようです。
さらに、大名や有力武将の中にも官位があり、功績や石高などにより、朝廷から位が授けられるのです。
正一位、従一位、正二位、従二位、正三位・・・のように続くのですが、越前守や日向守のような呼び方が複数割り当てられています。
正一位が関白で、豊臣秀吉が就いた地位です。
ただ、征夷大将軍というのは源氏がなれる最も高い地位で、上の官位とは別のもののようです。
この辺りの身分制度は非常に複雑で、もし興味があれば調べてみると面白いかもしれません。
当時の人は、大名クラスの人を官位で呼ぶのが普通ですので、忠実に再現しているドラマや小説では、こういった役職名が出てきます。
そういった背景を覚えておくとさらに楽しめるかと思います。
■家族の重要性
戦国時代の頃は、家族というのは現代より非常に重要視されていました。
個の力よりも、家族として
「この家は大丈夫か」
などと判断される場合が多いのです。
現代では、国会議員や知事を選挙で決めるので、個の力が重視されますし、会社などでも、家族単位というよりは、個人の力を重視します。
しかし、戦国時代の頃は、基本的に守護大名や将軍家などは世襲制(子どもが地位を継ぐ)ですし、家臣を雇う時にその人を判断するときなども、家族の行動から判断したりもしました。
また、大名が隣国を攻めて、隣国の大名を降伏させた時、その大名家を潰してしまうと、家臣などはその家に仕えていたわけですから、反乱を起こす可能性が高くなります。
そこで、よく使われていた手法が、降伏した大名家の養子として、勝った側の大名の長男以外の息子を送り込んで、家を継がせたりするのです。
そうすることで、家臣たちも主君の家が潰されることがないので、不満を抑えることができ、隣国を安全に乗っ取ることができるのです。
まぁ、こういったことが後に後継者問題につながったり、本家の長男に万が一のことがあった時などに問題が起こったりするのですが、織田信長や毛利元就や武田信玄などもこの手法を行なっていました。
このように、当時の人たちは家族単位で考えていたことが分かると思います。
大名家の人たちも、どうやって家を存続させるかというのは、常に悩みの種でもあったようです。
■小軍が大軍に勝つ理由
戦というのは面白く、兵士の少ない方が、兵の多い方に勝つということはよくありました。
普通に戦えば、当然大軍の方が勝つはずなのですが、小軍が勝つのも理由があります。
というのも、大軍の側の兵士には安心感から油断が生まれます。
「こちらが優勢なのだから、自分が戦わなくても誰かががんばるだろう」
「いざとなったら逃げればいい」
という考えも生まれることもあるでしょう。
もちろん、功を立てたい兵もいるでしょうから、全員ではありませんが、油断が生じることは間違いありません。
対して小軍の側の兵士たちには、死を覚悟して戦うことになります。
「自分が死ぬ気で戦わなければ負けてしまう」
「一人でも多く生き残らねばならない」
と全員が意識を高め、全力で戦うことになります。
こういった意識の違いから、小軍の方が大軍に勝つ場合があるのです。
もちろん、兵力差や状況によりますが、兵が少ない方が勝つのは珍しいことではないのです。
また、兵力がない方は、勝つために必死に作戦や戦術を考えることになりますが、大軍の方は普通に戦えば勝てると思うので、あまり策を用いません。
兵力が少なくても、優秀な軍師がいれば勝てることがあります。
例えば、100人対2人の場合、一人ひとりの力が同じであれば、どう考えても100人が勝つでしょう。
しかし、2人が勝つ方法があります。
火計や水計などを使うというのもありますが、そういった計略を使用せずに勝つ方法があるのです。
お分かりになりますでしょうか?
1人対2人であれば、2人の方が勝ちます。
これを100回繰り返せば、2人の方が勝つことができます。
まぁ、体力的な問題や地形利用が必須だったりと、現実的に考えれば難しいことではあるのですが、100%負ける戦いだったとしても、優れた策を考える軍師がいれば、少しでも勝率を上げることができるのです。
また、戦国時代にはこういった優れた軍師が登場するからこそ、面白いと言えるでしょう。
戦国時代に限らず、歴史を知るのは、非常に面白いことですし、勉強にもなります。
もし、興味があれば、ご自分で詳しく調べてみていただければと思います。