諸葛亮はなぜ馬謖を斬ったのか

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※この記事は過去の記事からの再掲載となります。

 

■泣いて馬謖を斬る

南の孟獲を鎮圧し、後顧の憂いを断った蜀の軍師諸葛亮は、魏を討伐するために、北に軍を進めます。
諸葛亮は天水、安定、南安の三郡を勝ち取り、蜀は勢いに乗ります。

事態を重く見た魏は、張郃という歴戦の猛将を総大将として進軍させます。
魏の援軍が来ると知った諸葛亮は、この重要な街亭という場所の守備の人選に悩みます。

馬謖という諸葛亮の弟子が強く志願したため、
「山の上には陣をはらず、山道に布陣するように」
と命令し、軍を預けました。

馬謖はとても優れた人物でしたが、それゆえに、
「孫子の兵法にも高いところに陣をはった方が有利になるとある」
と言って自分の方が諸葛亮よりも正しいとして、軍令を無視して山の上に陣を構えてしまいます。

副将の王平は、軍令に従うべきだと反対しますが、馬謖は聞かず、王平は少数の兵だけを離脱させて、軍令通り山道に布陣します。

魏軍の張郃は、馬謖の軍を包囲するように、山の周りに布陣しました。
これにより、馬謖の軍は水の補給を絶たれ、戦意を喪失してしまいます。

山の上から攻撃をかけても、魏軍の火計などにより、攻めきれずに窮地に陥ってしまいます。
そこへ、山道に布陣していた王平が援軍にかけつけ、なんとか馬謖を救出し、撤退したのです。

魏討伐の重要拠点を失った蜀軍は、やむを得ず蜀へ撤退することにしました。
もし、街亭で勝利を収めていれば、魏の滅亡も遠くないほどの大チャンスだったのですが、それを不意にしたことになります。

蜀に戻った諸葛亮は、馬謖を責め、斬首を命じました。
周囲にいた将は驚き、みんな止めました。
「蜀には人材が少なく、馬謖は優れた人物です。馬謖を斬ることは蜀の大きな損失になります」
「馬謖は丞相(じょうしょう。諸葛亮の地位)の愛弟子です。どうかご慈悲を」
「馬謖の失敗はこれが初めてです。せめてもう一度機会を与えてみてはどうでしょうか」

しかし、諸葛亮は、
「確かにその通りだが、ここで馬謖を許してしまっては、他のものにも示しがつかない」
と言い、涙を流して斬首を言い渡しました。

また諸葛亮は、今回の過失は人選を誤った自分にもあるとして、自ら丞相の身分から降格させました。

諸葛亮は、今後このような軍令違反をするものを防ぐためにも、大切な愛弟子を斬ったと考えられています。
例え身内であったとしても、身内であるという理由で許すことはできず、軍令違反は斬首ということを徹底させたということです。

泣いて馬謖を斬るという故事は、私たちにも色々なことを考えさせられます。
諸葛亮が蜀の損失となってでも守りたかった軍律の重さというもの感じずにはいられません。

諸葛亮は自分の頭の良さを知っており、自分の軍令通りにしていれば必ず勝てるという思いがあり、今後の軍令違反を無くすために馬謖を斬ったと考えられます。
この故事は、本当に現代にも印象の強いものとして残っています。
 



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