曹操の二虎競食の計

※この記事は過去の記事からの再掲載となります。
■曹操の二虎競食計
中国の三国鼎立の前、曹操が袁紹を官渡の戦いで破り、袁紹が病死した後、長男の袁譚と次男の袁煕との間で後継者争いが起こります。
普通なら長男の袁譚が後を次ぐのですが、次男の袁煕の方が優秀ということで、家臣からの勧めもあり、袁煕が後継者の座を奪おうとしたようです。
河北の支配を目論む曹操は、長男の袁譚に加勢するという名目で、争いに乗じて徐々に曹操の領土を広げていきます。
その後、曹操は袁譚にも攻撃をしかけて、袁譚、袁煕ともども南皮まで追い詰めます。
誰もが一気に袁家一族を滅ぼすものと思いましたが、曹操は容易に攻め滅ぼせるものではないとして、一度軍を退けます。
もし、このまま攻め続ければ、袁家一族が結束して抵抗することは必至で、敵味方ともに甚大な損害で出てしまいます。
そこで、曹操は一度軍を退いて、二虎競食計を用いたのです。
二虎競食というのは、二人の強者を互いに攻撃させて弱らせ、漁夫の利を得る計です。
曹操は、袁譚と袁煕の共通の敵である自分がいなくなることで、後継者争いが再発すると読んだのです。
案の定、袁譚と袁煕は、敵である曹操が遠ざかったことで、またも後継者争いを起こし、密かに袁煕は袁譚を殺害して、袁譚の首を曹操に送ってきました。
その混乱に乗じて、曹操は袁煕をも容易に攻め滅ぼしたということです。
通常の二虎競食計は、二人の強者をそそのかして争わせるのですが、共通の敵である自分が一度遠ざかることで争いを起こさせたという点で、見事な計略かと思いました。
曹操は、優秀な軍師を多数抱えていましたが、君主本人の頭脳も優れていたと言えるでしょう。
