豊臣秀頼は秀吉の子なのか?

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※この記事は過去の記事からの再掲載となります。

 

■豊臣秀頼は秀吉の子なのか

天下を統一した秀吉には、跡取りがいないという大きな問題がありました。
世間一般には、側室である淀殿が産んだ鶴松と秀頼が秀吉の実子とされています。
このうち、長男の鶴松はわずか3歳で病死しています。

秀吉は女好きで側室も多かったので、跡取りがたくさんいてもおかしくはないのですが、なぜかあまり子どもができませんでした。
他の大名は多くの男子が産まれる中で、天下人の秀吉に子どもができないのは、やはり秀吉に原因があると見て間違いないでしょう。

もともと秀吉は、子どもを作る機能を失っていたと考えられます。
しかし、それが正しいとすると、鶴松と秀頼は誰の子どもなのかという問題が発生します。

秀吉に跡取りがなく、天下人の秀吉が死んでしまったら、間違いなく戦国の世に戻ってしまいます。
それを案じ、また自分の子どもに天下人を継がせたいと思う淀殿が、他の男と交わって、男子を産んだ可能性があります。

淀殿の思惑は当たり、次男の秀頼は天下人を継いだわけですが、徳川家康の謀反により、結局戦いは起きてしまいます。

成長した秀頼は、秀吉に似ても似つかない大男となります。
秀頼が秀吉の子でないとすると、誰の子なのでしょうか?

一説には忍びの仕業ではないかというのもありますが、こればかりは淀殿本人に聞いてみないと分かりません。
いずれにせよ、秀頼が秀吉の子どもという可能性はかなり低いでしょう。

しかし、歴史上では、秀頼は秀吉の実子とされ、天下人を継いでいます。
歴史は調べれば調べるほど、このような面白いことが分かるものです。

 



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