桶狭間の戦いは本当にあったのか?

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※この記事は過去の記事からの再掲載となります。

 

■桶狭間の戦いはあったのか

有名な桶狭間の戦いですが、これも実際にあったのか、謎とされています。

桶狭間の戦いは、数千人ほどの織田信長軍が、二万人の今川義元を奇襲で破ったとされる戦ですが、記録としては織田家の記録にしかなく、他の記録に桶狭間の戦いはどこにもないとのことです。
織田家の名を轟かせたというほどの戦だったとしたら、他の記録にも記述がないとおかしいのです。
もちろん、戦争や火事などで失われた記録もありますが、現存する記録もありますから、どこかしらに桶狭間合戦の記述があるはずなのです。

また、今川義元は当時、東海一の弓取りと言われたほどの優秀な大名で、雨の中で地形を活かした奇襲とは言え、数千の信長勢に負けるというのは考えにくいのです。

一説に、織田家から降伏に出向いた使者が実は刺客で、降伏のために今川義元と対面した時に、暗殺したのではないかというものがあります。
織田家としては良い記録を残したいので、暗殺であっても戦で勝ったという偽の記録をしてしまい、その記録を元にした作り話が江戸時代に流行り、現在多数の資料にその作り話としての歴史が残っているのではないかということです。

これも真実は分かりませんが、上の仮説が真実だったとしたら、桶狭間の戦い自体存在していなかったことになり、歴史の教科書も間違いということになります。
 

■桶狭間の戦いの真相

上の記事では、桶狭間の戦いそのものがなく、織田家の使者が、今川義元を暗殺したのではないかという説を挙げました。

そちらを否定するわけではないですが、やはり資料が少なく、推測の域を超えません。
唯一とも言える資料が、太田牛一が記している信長公記です。

太田牛一という人物は、当時信長に仕え、信長を慕っていることで有名です。
信長公記は、信長の生涯を綴った記録で、かなり信憑性が高いと言われています。

ただ、必ずしも真実を全て書いているとは限らないとも考えられます。
信長を慕っているわけではない人物が、客観的に記録を書いているのであれば、信用性は高いですが、信長に仕え、さらに信長好きが残した記録となれば、贔屓目に書かれてしまうのも否めません。

なので、桶狭間の戦いに書かれていることも、真実なのかどうかは疑問だということです。
と言いますのも、信長公記に書かれている桶狭間の戦いは、かなり無理があるのです。

信長公記によると、山上に布陣した今川軍に対し、織田軍は山のふもとから攻めるという絶対的不利な状況で、さらに兵力も今川が大軍に対し、織田軍は寡兵となっており、どう頑張っても無理があるのです。
雨の中、奇襲を成功させたことになっていますが、今川義元という人物もバカではありません。

今川義元は、東海一の弓取りとも言われた人物ですし、兵法もきちんと学んでいて、かなり優秀な人物です。
この桶狭間の敗戦のせいで、頭の悪いイメージで表現されることが多く、誤解されていらっしゃる方も多いかと思います。

たとえ雨の中で奇襲があったとしても、態勢を整えて反撃するのは、今川義元ならできたはずです。
それにそんなに油断をする人物とも考えにくいのです。

前回の記事では、織田家の降伏を告げる使者が、今川義元を暗殺したのではないかという説を挙げましたが、こちらの可能性も高いかと思います。

もう一つの説としては、兵力差がそれほどではなかったのではないかというものがあります。
記録では、今川4万5千の兵に対し、織田が3千となっていますが、石高から兵士を計算すると、それほどの差があったわけではないのではないかというのです。

石高と兵士数は密接に関係しています。
石高というのは、米の生産量のことで、米を作る農民は、戦国時代では武士になることもありました。

そもそも、当時は戦争で活躍すれば土地を与えられることがあり、武士が農業をするのが普通です。
その流れで武士が農業をやり、逆に農民が土地を守るために戦ったりするため、農民と武士は似たような存在なのです。

今川義元が治める東海は山が多いため、平野が少なく、石高はそれほど高くありませんでした。
対して、織田信長が治める尾張周辺は平野が多く、面積は狭くとも石高が結構高かったようです。

そのため、石高から単純計算すると、今川1万5千に対し、織田1万くらいになるということです。
もちろん、織田家は内乱続きで、他家とも戦争していたため、兵力はもっと少なかったと思いますが、兵力差は10倍以上もあったわけではなく、2倍程度だったのではないかと考えられます。

もし、そのくらいの兵力差だったとすれば、桶狭間の戦いで織田家が勝つことは不可能ではなくなります。
ただ、そうなると逆に、信長公記の兵力の部分に、嘘があるのではないかとなってくるわけです。

いずれにしても、信長公記は信頼できる記録ではあるのですが、桶狭間の戦いについては、何か話を盛っていると言わざるを得ません。
信長公記に書いてあるから正しいのだとする専門家もいらっしゃいますが、そういった偏見は一度見直した方が良いと思います。
 



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